一秀くんの同級生のブログ

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裁判所の公正さを問う

 東京地裁が5日、植草さんの保釈許可を出したが、東京地検からそれを不服とする準抗告がなされ、その申し立てが認められて保釈取り消しとなった。
 逃亡の可能性、証拠隠滅の可能性のどちらかが認められたということらしいが、それはおかしい。
逃亡?・・・国内では顔が知れ渡っているし、日本以外に活動拠点を持たないので、国外逃亡もあり得ない。
証拠隠滅?・・・現行犯逮捕で被害者・証人は警察が押さえているのであり得ない。
被害者・証人を脅迫する可能性?・・・やろうと思えば植草さんでなくてもできる。
 どう考えてもおかしい。
 だいたい、このような微罪で準抗告がなされること自体が不自然だ。裁判所が準抗告を認めたのはもっとおかしい。これは大勢の株主に迷惑をかけた、インサイダー取引疑惑ではないし、不正経理問題でもない。

 日本は三権分立していないとはよく言われることだが、少なくとも建前だけは、三権分立を守っていたと思っていた。今回このような形で、モラルもプライドもかなぐり捨てて、べったりと検察にすり寄る裁判所の姿を見せられると、世も末だと思う。

 これは、単なる被害者がひとりの痴漢事件である。・・・と書くと、フェミニストの方々にお叱りを受けるかもしれない。しかし、私自身痴漢被害の経験はあり、その厭な経験を踏まえてみても、こんな長期の身柄拘束は理不尽なことこの上ないと思う。被害者の言い分が事実だと仮定しても、その「被害」とは一時的に不愉快な思いをさせられたということであり、傷害事件でもない。一方容疑を否認している植草さんは、奉職先の大学から免職処分を受け、自分の会社もパソコンを押収されて顧客名簿を奪われたために、情報配信の本業が立ちゆかなくなっている。実際の金銭に置きかえたら大損害をこうむっている。検察の準抗告が、単なる嫌がらせ以上に悪質なのは、容疑者の生活の道を断とうとしていることにある。
 植草さんが勾留され続けることによって受ける不利益は、それだけではない。裁判に備えるための弁護士との打ち合わせをする上での制約を受けるし、記者会見などをして、直接世論に訴えかける機会を奪われるのである。
 今東京地検がやっていることは、痴漢に遭ったという女性の訴えだけを尊重し、容疑者の権利を踏みにじるという非道なことだ。まだ捜査の過程であるにもかかわらず、容疑者となった一人の男性の仕事を奪い、その人の家族の生活を脅かすという罰を与えているのだ。これが社会正義と言えるのだろうか?
 もしも、自分の夫が、父親が、息子がこんなふうに逮捕されたら恐ろしいことだと思う。家族のため、生活のため、やっていないことであってもやったと認めるほかないだろう。そうしないと、ずっと勾留され続けなければならないわけだから。

 もしも邪悪な人間が誰かの名誉を傷つけようと思ったならとても簡単。例えば俳優を雇って痴漢容疑をでっち上げ、原則として「疑わしきを罰する」判決が下される痴漢冤罪裁判に持ち込めば良い。そんな映画のような悪夢の世界が、あながちフィクションだけではないと思えてしまった。
 ジョージ・オーウェルの小説「1984」に描かれているような密告社会が、すぐそこに迫ってきているような、底知れない不安感を持った。
by hirarin-601 | 2006-10-10 21:13 | 警察・検察・司法