一秀くんの同級生のブログ

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庶民の味方

 かずちゃんと私が大きくなるまで住んでいた江戸川区は、東京の東のはずれにある。下町と言えば浅草だが、その浅草で庶民文化が栄えた江戸時代には、江戸川区はまだ未開な土地だったのではないだろうか。

 私の父は商店従業員を経て独立し、小さな商店の経営者となった。バブルが崩壊してからは真っ先に不況の煽りを受け、同業者や取引先がバタバタと倒産する中で、不渡り手形をつかまされたことは何度もあり、苦労の連続だった。いわば、小泉政権に切り捨てられ、痛みを押しつけられ苦しんできた庶民の代表格だ。父は、人の借金を肩代わりされられたことは何度もあるけれど、他人に迷惑をかけたことは一度もない。私は密かに尊敬している。
 そんな父を持つ私にとって、植草さんが一貫して庶民の味方でいてくれたことは、本当にうれしかった。植草さんをあるときテレビの中に見いだしてからは、経済番組にはあまり興味がなかったのだが見るようになった。難しい経済理論はわからなかったが、常に庶民の側に立っての政策運営を提唱していることはよくわかった。
 庶民感覚──これは私自身の感覚であり、幼少時の植草さんも、育った地域の人々からおそらく肌で感じ取ったであろう感覚だと思う。

 植草さんは「弱者切り捨て政策」を厳しく非難している。また、高級官僚OBに、働きに見合わない破格の待遇を私達の税金から出させる制度であるところの「天下り」の廃止を訴え続けてきた。郵政民営化を改悪と言っているのも、銀行界にとって良いだけで、国民に利益と幸福をもたらさないという視点からのものだ。

 植草さんは「政治は弱者をしっかり守るためにあると思っている」と言う。こういう心情を持った政治家が、一体今どれだけいるのだろう。弱いものを平気で切り捨てる小泉政権を許せないからこそ、我が身の危険を顧みずに厳しい批判をしてきたのだと思う。そんな勇気を持った人であることを、なぜ世間は理解しないのだろう。私達の最大の味方を権力が葬ろうとしているなら、私はそれを黙って見ていることはできない。

 ところで、植草さんが今回、どうして電車に乗ったのか?
 これは私にとっても事件当初は最大の謎だった。普通ならタクシーに乗るところだと私は思った。いずれ本人が直接語れるようになれば、その理由も明らかになることだろう。だがここで、彼の人となりをよくよく考えて見ると、案外彼の「庶民感覚」に答えがあるのかもしれない。あくまでも推測だが…。
 彼自身は、自分をセレブでもなければ特別な要人でもない、一般の生活者にすぎないと考えていたのではないか。一般人と同じように、彼が日頃から電車に乗って移動しているのだとしたら、そこに彼の庶民の味方たるゆえんを、幼なじみの私は感じてしまうのだ。
by hirarin-601 | 2006-10-17 14:44 | 管理人のつぶやき