一秀くんの同級生のブログ

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熊八さんの名言

 『国家権力と個人の闘いを見守る上での、
  あるべき個人の立場について』


 当ブログにコメントしてくださる熊八さんが「植草事件の真相掲示板」に書かれたご意見ですが、秀逸なコメントなので、勝手ながらこちらに転載させていただきます。

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私は、当事者や事件関係者ではないので、刑事裁判の鉄則どおり、被告人の側に立って考えようと思っています。
当事者や事件関係者ではない国民の態度としては、それが正当だと思います。何が起こったのか事実を知らないし、関係ないんですから。
国民が関心を持つべきは、国家が正しく権力を行使するかどうかです。国家権力の行使は自分にも関わってくる問題ですから。
そして、犯罪をきちんと摘発して、しっかり捜査して、犯人に刑罰を与えてくれているか。これも国民が関心を持つべきところです。しかし、この点については、警察・検察を信頼する限り、何も言うことはないのではないかと思います。
・・・<中略>・・・
国民が関心を持つべきなのは、国家権力が濫用されないか、人権が守られているか、という点になってくると思います。
何か事件が起こったとき、当事者・事件関係者でなければ、与えられる情報は圧倒的にマスコミ情報です。しかも、マスコミはべったりと警察・検察寄りです。容疑者・被告人に不利なリーク情報等を垂れ流します。
バランスを取るには、国民の立場としては、容疑者・被告人寄りに情報を検討するしかないと思いませんか? 警察・検察寄りの情報を、警察・検察寄りの立場を取って見れば、当然に偏ります。
そもそも、被告人と警察・検察とでは、個人vs国家権力ですし、捜査権やら何やら、圧倒的に国家権力が力を持っています。証拠なども全部、国家に取られてしまいます。被告人有利な証拠なんか出してくれません。被告人有利な証人も、国家権力が怖くてなかなか出て来れません。
そういう条件で刑事裁判は行なわれるので、だからこそ、バランスを取るために、「被告人には無罪の推定が及ぶ」であったり、「疑わしきは被告人の利益に」という鉄則があるのです。国家権力のほうが圧倒的に強いに決まってますから、そういうルールになっています。
したがって、当事者・事件関係者でない一般国民としては、事件を考えるとすれば、圧倒的に警察・検察寄りの情報の中、国家権力による人権侵害が無いかどうかをチェックする意味で、被告人側の立場に立つしか無いのです。

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 ※対話の中から抜粋しましたので、一般論でなく相手に向かって書いていると思われる箇所は一部略させていただきました。

 私の言いたいことを、識者らしい言葉で的確に表現されているのを見て、とてもうれしかったです。
by hirarin-601 | 2007-07-12 12:23 | 警察・検察・司法