一秀くんの同級生のブログ

hirarin601.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

カテゴリ:警察・検察・司法( 10 )

最高裁判事への手紙

最高裁判所第三小法廷裁判長
  近藤崇晴 様

 私は××××に住む主婦です。
 先月下旬、6月23日と25日に相次いで出された、植草一秀氏に対する民事裁判と刑事裁判の二つの裁定に対して異議を持ちましたので、お便りさせていただきます。
 お伝えしたいのは、国民の司法への信頼が今大きく揺らいでいるということです。

 足利事件では、無実の菅谷利和さんが17年半も実刑に処せられてしまいましたが、このうち11年以上は、弁護側の再三にわたる再鑑定請求を無視し続けた最高裁判事の責任であると指摘するジャーナリストがいます。裁判官は一度出された判決を守ろうとする傾向にあるのだそうです。
 国民は、裁判官にあくまで中立・公正な裁定を下してもらえるものと期待しています。
 誠心誠意考えぬいたうえで間違った判断をしたのならまだしも、裁判官のしがらみや保身のために誤った裁定を押しつけられたのでは、国民はたまったものではありません。

 私はなんの組織・団体にも属しておりませんが、個人的に植草一秀氏の事件に興味を持ち、植草氏の二度目の刑事事件の起こった2006年9月から植草氏の裁判やマスコミ報道を注視してきました。
 驚いたのは、大手マスコミ報道が、植草氏が言ってもいない供述を警察のリーク情報として流したり、公判については一貫して植草氏に不利な内容を拾い集めて、時には歪曲してまで報道してきたことです。私になぜそんなことが言えるかというと、植草氏の支援者による裁判傍聴記と、支援者ではない一般の傍聴愛好家による傍聴記のどちらを読んでも、マスコミ報道とかけ離れていたからです。また、いわゆる大手マスコミではない、インターネットのジャーナリストが独自に裁判を取材して書かれた記事をネットで読んでも、やはり大手マスコミの横並びの記事とは違う内容でした。
 刑事事件・一審の東京地裁では、毎回大勢詰めかける傍聴希望者に公判の様子が周知されるのを避けるかのように、常に一般傍聴席が24人分しかない小さな法廷で行われました。このことは結果的に検察と、検察有利な情報を流すマスコミを、裁判所が助けたことになります。同時に、大手マスコミでは大量にアルバイトを雇って傍聴券獲得に並ばせることによって、一般傍聴者や支援者を法廷から遠ざけるのに一役買ってきました。
 植草氏の支援者はこれらの困難にもめげず、速記者を傍聴させて公判速記録を作らせました。速記録は公判後すぐにインターネット上に、誰でも閲覧できる状態で公開されました。これは録音が禁じられている前近代的な制度の下、まったく合法的な手段で得られた正確な公判記録です。私の知る限り、速記録は勾留中だった植草氏の承諾なしに作られたようです。
 これにより、公判に出廷した検察側目撃者のT証人と、被告人を逮捕した検察側のK証人の証言、弁護側の被告人質問と弁護側による反論・論証を我々一般人もつぶさに知ることができました。
 その結果、共に検察側の証人であるT証人とK証人の証言が立ち位置で大きく食い違い、K証人の証言が被告人植草氏の供述を一部裏付けるものであることがわかりました。また、植草氏の犯行を目撃したというT証人は当時の植草氏と違う容貌の犯人像を証言していることも明らかです。
 さらに、速記録ではなく傍聴記からですが、事件を目撃していたという証人が後から名乗り出て、植草氏のアリバイを公判で証言したことがわかりました。そのやり取りの記録を読むと、裁判官自らが弁護側証人に質問したことによって、証人が事前に弁護側と口裏合わせなどしていなかったことと、犯行時間帯に目を閉じてつり革につかまった状態で何もしていない植草氏を目撃した、つまりアリバイ証言をしたことが明らかになっています。不思議なことに、この時のマスコミ報道と同様、一審判決でもこの証言が正当な理由なく無視されています。
 折しも、痴漢裁判の矛盾点をあぶり出した映画「それでもボクはやってない」が公判最中に封切られました。被害者が間違った人を犯人と特定したことに何の疑問も抱かない、被告人の言い分を一切無視する、合理的な再現実験を裁判官は詭弁を弄して退けるといった、痴漢裁判で広く行われている「魔女裁判」ぶりが映画では描き出されていて、植草氏の裁判でもそれと全く同じ事が行われていました。この映画によって、有罪率99%という日本の刑事裁判の異常さが、日本国外でも知られるところとなりました。
 しかし、植草氏の裁判が一般の痴漢裁判以上に異様だった点は、マスコミ報道が常に検察に有利になされてきたこと、裁判官が検察官の顔色を見て弁護側の証拠採用の是非を決めていること、複数の検察側証人の証言が食い違っても、裁判官は矛盾を最小限に解釈して信用できるとしているのに対し、弁護側証人の証言は正当な理由もなく信用できないとして判決を下していることです。
 どうしてそうなるのかは、いろいろな憶測が流れていますがここでは書きません。ただ植草氏の裁判では、検察・マスコミ・裁判所が一体となって有罪判決を導いてきたのです。
 私が申し上げたいのは、このような方法で裁判が行われていることを知った国民は、裁判所に対する信頼を持てなくなるということです。

 控訴審判決は、一審判決に対して植草氏側が指摘している疑問点にはまったく答えず、満足な審理もせずに、一審判決を盲目的に支持したとしか見られないです。
 一審判決に対する合理的疑いを高裁も最高裁も無視するだけならば、なんのための三審制なのかわかりません。

 サンデー毎日への名誉毀損裁判では、二審判決で以前の刑事事件の判決を引き合いに出して「セクハラ癖」を認定するという、前代未聞の裁定をしています。民事裁判は原告の名誉が毀損されたかどうかを吟味するものであり、痴漢をした事実があるかどうかを吟味する刑事事件を参考にするのは筋が通りません。刑事事件で有罪になったという理由で、マスコミによる人権侵害を裁判所が認めた、極めて悪質な判決です。

 今回の最高裁判決では、民事と刑事の二つの裁判で、なぜ同じ裁判長が二回とも植草氏に不利な判決を出したのでしょうか。客観的に見ても偏っており、なんらかの意図を感ぜずにはおられません。

 万が一、裁判長が予断も偏見もなく判断なさり、偶然にも二つとも「控訴棄却」の決定をされたのだとしても、なぜ今なのかという点で重大な疑惑が提起されます。
 2ヶ月以内に衆議院が解散され、総選挙が行われる今の時点での実刑確定は、現政権への強力な批判者である植草氏への「言論封殺」である疑いが浮上します。
 植草氏は現在ではマスメディアには登場しませんが、著書やインターネット上のブログを通して情報発信しており、マスコミが報道しないニュースを伝え、独特の解説をしているとして絶大な支持を集めています。インターネット上に開設されている「ブログ」という植草氏の評論記事は、「政治ブログランキング」で現在一位を保っています。ブログのランキングは、その記事に読む価値があると考えた読者が投票して決まります。政治ランキングで上位に位置する他のブログがほとんど現政権を支持している中で、植草氏のブログだけが異彩を放っています。
 植草氏のブログは、麻生内閣及び現政権が、政権交代阻止のために懸命の工作をしていると伝えます。
 最高裁判事は内閣が指名するそうですが、これでは現政権の批判者を排除するために、本来分立してあるはずの権力が結託して動いたとする批判を免れません。
 日本は今まさに、政権交代が行われるかもしれない政治の転換期です。そういう時期に最高裁判所が政治利用されたというような疑いをもたれる裁定を下すことは、今後においても日本の裁判所の汚点として長く歴史に留められることにはなりませんでしょうか。

 そもそも、近藤裁判長殿は東京都迷惑防止条例違反で実刑が相当とお考えなのでしょうか?
 私は若い頃、電車内の痴漢被害に遭いさんざんイヤな思いをしましたが、その加害者達ですら社会的制裁を受け実刑を課されることが相当だとは思いません。もちろん植草氏は痴漢などしていません。

 植草氏は2004年の品川駅エレベーター事件でも、有罪は確定したけれども無実であると主張しています。著書やネットで発信する事件の詳細を読んで、無実を信じる人が増えています。このような言論活動を封じたいがための有罪判決ではないかと疑う声もインターネットで大きくなっています。
 菅谷利和さんの無実が明らかになったように、植草氏の無実も明らかになり、いずれ裁判でも再審請求で無罪を勝ち取る日がくると信じています。

 裁判員制度も始まり、一般人の声に裁判官も耳を傾ける流れに時代が変わりつつあるのではないかと思いお便りいたしましたが、それが私の思い違いでしたらどうかお許しください。
 「疑わしきは罰せず」の原則に立ち還り、足利事件の菅谷利和さんや富山冤罪事件の柳原浩さんのような冤罪被害者を生まない裁判が行われ、政治権力から独立した裁判所を戴く日本になって欲しいと切に望んでいます。
 なお、この手紙は純粋に私の考えで書いたもので、植草一秀氏とは一切関係ありません。

               平成21年7月5日        
                         ××××××拝
最高裁判事 近藤崇晴 様
by hirarin-601 | 2009-07-07 15:32 | 警察・検察・司法

「抗議文」を思いつく

最高裁の不当判決が出て以来、植草さんはいつ収監されてしまうのかとハラハラドキドキしていたが、今のところまったくその気配はない。植草さんは、相変わらず精力的にブログを更新し続けていらっしゃるし、「植草事件の真相掲示板」さんを通して支援者と、のどかにやり取りをするほどの余裕を見せている。
「刑務所に行ったら殺される」とか「遺言状を書いておけ」とかさんざん脅されたら(善意の忠告ではあるのだが)、私なら普通の状態ではいられないと思う。
自分ならたぶん正気を失うか、逃亡を企てるのではないかと思う。少なくとも何も手につかないだろう。
だから、ブログ更新で見せる植草さんの余裕を、驚きをもって眺めている。

その「真相掲示板」さんに「収監されない方策を考えるべき」との意見が出され、なるほどと思った。今まで最高裁棄却で必ず実刑になると思い込んでいたが、そう言えば「異議申し立てが認められなければ収監」とニュースに出ていた。
今頃弁護団は、最高裁に「異議申し立て」をしているに違いない。
私も自分なりに異議申し立てをしてみようかと思った。
ネットで検索してみたら、立派な「抗議文」が次々出てきた。
ネットで出てきたようなすごい文章は書けそうもないが、自己流で書いてみようと思う。
by hirarin-601 | 2009-07-02 16:42 | 警察・検察・司法

裁判官にバツをつけよう!

植草さんのブログが更新されるとほっとする。
当ブログもお読みいただいたことがわかり、たいへんうれしく思った。
実刑確定は何かの間違いであってほしいと、心の底で思っている。

植草一秀さんが無実であると、今では多くの人達が知っている。
だから、試されているのは最高裁の方だった。

裁判所は本当に公正なのか?
三審制は形だけの茶番ではないのか?
最高裁判事は、政府に都合の良い判決を出しているのではないのか?
検察寄りの判決ばかり出す裁判所に、はたして存在意義があるのか?

そういう疑問を抱きながら、私たちは最高裁の判断を待っていたのだ。
結論として、裁判所は公正ではなく、三審制は形だけの茶番であり、最高裁判事は政府の意のままに判決を出し、裁判所の存在意義はないのではないかという疑いが更に濃厚になった。

裁判官は有罪判決を出す人ほど出世するらしい。
元社会保険庁長官が最高裁判事に天下りした例もある。
そういう現状に対して私たちができることは、衆議院選挙の時に、最高裁判事の国民審査で×印をつけることだけだ。
だから、権利を行使しよう。

私はこの考えを以前から持っていたのだが、今回の植草さんの不当判決を受けて、ブログ記事で多くの方々が同じような考えを表明されているのを頼もしく思った。

私の考えでは、植草さんの民事裁判と刑事裁判の両方で不当判決を下した近藤崇晴裁判官は当然バツだとして、その他の裁判官がどういう人なのかを知らず、良い判決を出す人だという確信がない場合でも、やはりバツをつけるべきである。

なぜなら、バツをつけなかった場合は了承したことに自動的になっているからだ。
私たちは、最高裁で誰がどんな判決を出しているのか普段から関心を持って見ているわけではないし、関心のあった件でも、直接関わりがなければ、選挙の時には忘れてしまうことが多い。
そういうところを利用して、形だけ民意を得た裁判官がやっていることにしている現行制度はずるいやり方だと思う。国民の過半数がバツをつければ罷免されるのだそうだが、今まで国民審査で罷免された裁判官はいないのだそうだ。
少なくとも、なんの説明もなく、ただ判断しろと言うのでは、不親切を通り越して、国民を欺くための制度だと思われてもしかたがない。
国には、選挙民に情報を提供する義務があるのではないだろうか。
みんなが自動的にバツをつけるようになれば、政見放送のように、各裁判官の実績を教えてくれるようになるかもしれない。
ともかく現行制度には不満だという意思表示として、原則すべての裁判官に×印をつけることをお薦めする。
by hirarin-601 | 2009-06-29 02:49 | 警察・検察・司法

裁判所無用論

植草さんの控訴審が昨日開かれ、弁護側の証拠調べ請求がことごとく却下されて結審した。
判決は一ヶ月後に言い渡されるというが、矛盾だらけの一審判決に何ら疑問を持たないのだとしたら、簡単に「控訴棄却」の一言で片づけられてしまうかもしれない。
そんな疑念が湧き起こり、今までの著しく不公平な裁判にもの申すべく、独自に「裁判所無用論」を展開してみた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本では刑事裁判の有罪率は99.9%だそうだ。(4、5年前の数字)
これは欧米諸国と比べても特異な数字だ。
裁判所の役割は、検察の判断に間違いがないかチェックすることだと思うのだが、検察の判断にほとんど間違いがないなら、裁判所はいらないのではないかと言いたくなる。
どうせ今までも、検事の主張がほとんど間違いなく正しいと判断されてきたのだから、起訴されたら必ず有罪とし、量刑も検事が決めればよい。判事の仕事は、求刑に八掛けして量刑を決めるだけだったのだから。
裁判所の存在理由は何か?

有罪率が高い原因として、逮捕者に対する起訴率の低さが挙げられている。
逮捕しても慎重に取り調べてから起訴をするかどうか決めているという。
無罪判決が出ると検察官の出世に響くので、無罪になりそうな事件は起訴しないということだ。

無罪判決を出すと、裁判官の出世にも響く。裁判官の能力を評価し処遇を決める最高裁は、無罪判決を出す裁判官を冷遇するそうだ。このことは、司法が行政から独立していないことを示す。
本当は、日本は三権分立していないのだ。

判事と検事の人事上の交流=「判検交流」についてはあまり知られていない気がする。裁判官が数年間検察官をやって戻ってきたり、その逆があったりと、両者は実は「信頼関係」といってもよいほど緊密な関係にあるのだ。
また、裁判官は人手不足なため、一度にたくさんの案件をかかえ、一件一件をじっくりと検討するのもままならないらしい。だから無罪判決を書くには非常に勇気が要り、並の判事にはそんな気力も体力もなく、自動的に検察寄りの判決を出してしまう。

日本の検察は優秀であり、えん罪もないと一般に信じられてきたが、裁判官からも絶大な信頼を寄せられてきたことを、有罪率99.9%という数字が語っている。
ところが、富山のえん罪事件では、検察に対する信頼が裁判所に対する信頼と共に地に落ちた。足跡の大きさが違い、犯行時刻にアリバイがあったにもかかわらず、裁判官は有罪判決を出し、被疑者が服役を終えた後に、別の真犯人がいることが明らかになった。裁判官は、自白が強要され、捏造されたものであることを見抜けなかったわけだ。
嘘の自白をさせた捜査官や、インチキだらけの証拠で有罪判決を出した裁判官になんのペナルティーもないのは、どうしても納得できない。
この事件はたまたま真犯人が自供したから無実だとわかった稀なケースで、実はえん罪事件のほんの氷山の一角かもしれない。
裁判で有罪判決が出ても、本当は無実なのではないかと疑われる事件は、他にも多数存在する。

志布志事件や引野口事件では無罪判決が出たが(註1)、それで犯人扱いされた人が救われたかというと、そうともいえないと思う。
引野口事件では片岸みつ子さんが犯人に仕立て上げられ、みつ子さんの夫は任意の取り調べを受けた後に自殺した。精神的に追い詰められたのだろう。警察に殺されたといえるのではないか。少なくとも、誤認逮捕と取り調べがなかったら、自ら命を落とさずに済んだはずだ。取り調べでは、人権を無視した脅しや、よほどショックなことを言われたのだろうことは想像に難くない。
みつ子さんのご子息は、会社をやめて母の無実の訴えのために奔走した。
片岸家の方々の生活は、無罪判決を受けてももう元には戻らない。
別件逮捕による長期勾留もおかしいし、警察の画策によって同房に入れられたA子の供述も矛盾だらけで、そもそも証人として不適格だ。
しかも、違法ともいえる捜査をした側が罪に問われることは非常に少ない。
(志布志事件で「踏み字」をさせた警部補が「特別公務員暴行凌虐罪」に問われて有罪になった。)
3年9か月に及ぶ長期勾留の末、人生をめちゃめちゃにされ破壊し尽くされてからの無罪判決では遅すぎる。これでは、裁判所が無実の人を救っているとは言えない。

それならいっそのこと、裁判制度を廃止してはどうか。
三権分立もしてないくせに、西洋のモノマネをして茶番劇を続けるのはいい加減終わりにしてほしいのだ。
裁判所がなくなれば、莫大な人件費・経費が浮く。今までそれらが、検察の仕事にお墨付きを与えるためだけに使われてきたとはもったいない。
とは言っても、現実には裁判をなくすことはできないので、今までの検察べったりの裁判ではなくなる仕組みを作ってほしい。

要は、警察・検察の不正を取り締まる機関が必要なのだ。もちろん、行政から完全に独立した組織でなくてはならない。だから、今までの裁判制度を廃止するぐらいの抜本的な改革をすることを提案したい。
警察・検察の監査機関を設置し、別件逮捕による違法な取り調べや自白の強要、証拠の隠滅・捏造があれば、被疑者がこの監査機関に訴え出ることのできるようにする。場合によっては、警察官や検事の行き過ぎた捜査を罪に問える。
検察にとって不利な証拠を出さなくてよいという「最良証拠主義」はやめるべきだ。えん罪をなくすために、証拠はこの監査機関が公正に管理し、検事だけでなく、被疑者の弁護士が請求しても、ちゃんと提出してもらえる。
この機関は科捜研に対しても、検察と同等に証拠の調査を請求できるようにする。
今まで偽証罪は、被告人や被告側の証人にしか適用されなかったが、検察側の証人にも適用されるようにする。
今まで、弁護人が証人と口裏合わせをしていないか厳重にチェックされてきたように、検察側とその証人の口裏合わせがないかも厳重にチェックするべきだ。それが不可能なら、検察側に認めてきた口裏合わせを弁護側にも認めるようにする。今までの裁判所にできなかった、公平を第一とする監査機関が是非とも必要だ。

西欧の陪審制のモノマネをして裁判員制度を導入しても、ちゃんと機能するのかどうか疑問だが、せっかくなので職業裁判官の負担の軽減のために、裁判員にいてもらうのもよいかもしれない。

以上、不満だらけの司法制度に対し、自分の理想を述べてみた。
素人考えのため失笑を買うかもしれないが、これを叩きながらより良い制度についてお考えいただけたら幸いである。

(註1)引野口事件では、殺人・放火については無罪とされたが、別件逮捕のための容疑となった窃盗・威力業務妨害については執行猶予付きの有罪とされた。支援者のHPをはじめ、ニュース報道を見ても、このどちらも無実だとわかる。
http://www.hikinoguchi.com/
by hirarin-601 | 2008-03-18 13:03 | 警察・検察・司法

冤罪の日

5月3日は憲法記念日である。
と同時に『冤罪の日』としてはどうかと提案したい。

私たちは法治国家に住む恩恵に浴している。
法に守られているのは有り難いことだと思う。
しかし、法によって人権を損なわれたり、人生を台無しにされた人がいることを忘れてはならない。
やってもいない罪に問われて、有罪判決を受け、獄につながれている人が今もたくさんいる。
その人達の犠牲の上に、私たちは表向き安全な社会に生きることができているのだと思う。
だから、法律ができたと同時に冤罪の歴史が始まったと私は考える。

「やってない」と叫んでも叫んでも誰もわかってくれない。そして法を犯したと決めつけられ、世間から後ろ指を指され、獄中で何年も無為に過ごさねばならない。自分がそんなことになったらどんな気がするかと、考えてみる日があってもいいのではないだろうか。
終戦の日や阪神大震災の日に犠牲者を悼むように、憲法記念日には冤罪で死刑になった人を悼んで黙とうを捧げよう。今も獄中で苦しむ人々のために祈りを捧げよう。

法の恩恵を受けている私たちは、法によって人生を奪われた人々の苦しみ、悲しみ、悔しさに無関心ではいけないと思う。
by hirarin-601 | 2008-02-13 22:20 | 警察・検察・司法

映画『それでもボクはやってない』への裁判官の反応

この映画が去年1月に公開された時、周防監督は「裁判官に見てほしい」と語っていた。そして意外にも多くの裁判官が見てくれたり、感心を持って感想を述べている。
私は今日になってこのサイトの存在を知ったので、少々前の話になるがご紹介する。

『日本裁判官ネットワーク』というサイトの「オピニオン」の中にあります。
 ↓
『例会報告・映画「それでもボクはやってない」を巡って』

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

あの映画を見たら、裁判官はいったいどんな感想を持つのだろうと思っていた。
「あの証拠で有罪にする裁判官などほとんどいない」と述べる裁判官もいれば、「映画に出てくる裁判官のように、自分も有罪判決を出していたかもしれない」と告白する裁判官もいておもしろかった。
「裁判官が有罪慣れしすぎている」とは、裁判官自身も自覚しているらしい。

『日本裁判官ネットワーク』に登録している裁判官は、割合まともな人が多いように感じた。植草さんの裁判を知ったらどんな感想を持つのか知りたい。
by hirarin-601 | 2008-02-12 15:57 | 警察・検察・司法

しばらく東京に行ってました。

 今回の判決公判で、初めて東京地裁という場所に行った。
 傍聴券を得るのはやはり難しかった。遠路はるばる出かけたのだし、けっこう期待していたのだが、元々くじ運が強いわけでもないので、あっさりはずれてしまった。
 しかし、あんな判決なら傍聴できなくてかえって良かったのかもしれない。
 無慈悲な判決を下した裁判官達の顔が、非情な権力の象徴として目の裏に焼きついてしまってはつまらないだけだから。
 裁判官様はやはり、自己保身と権力温存の方が正義より大事でしたか・・・。

 裁判官になる人というのは、司法試験合格者の中でも特に優秀な人がなるとされているらしい。しかし、人が人を裁くという難しい仕事であるうえ、生活上も様々な制限が加えられるため、その中でも特別高い志のある人がなるのだと思っていた。
 そんな期待は、しっかり裏切られた。

 数少ない人付き合いの中の、仲良しの検察官の言う通りの判決を出しただけ。
 そのことにより、自分たちがどんな罪を犯したのかなんて、考えてもみないのだろう。
 事実を公正に判断し、「疑わしきは被告人の利益に」という原則に則って出した判決ではない。そうやって無実の人に罪を着せてしまった罪は、法律で裁かれることはない。
 しかし、心のレベルでは大変なことをしでかしてしまったわけで、その人の魂に永遠に刻みつけられる大罪だと思う。

 今回の裁判官達を軽蔑するとともに、心から哀れに思う。
by hirarin-601 | 2007-10-22 20:15 | 警察・検察・司法

裁判官の判断を絶対だと思う人達

「裁判官はなぜ誤るのか」という本が出ている。
元裁判官が書いたそうだ。
私も手にしてみたが、読んでいてあまりに腹が立つので、最後まで読めずにいる。

「謝る」のではない「誤る」のである。
誤った判決を出しても、決して謝らないのが裁判官である。

しかし、世論調査でも明らかなように、国民の裁判所に対する信頼はあつい。
「裁判官は誤るもの」であると知っているのは、一部の業界人だけだ。
だから、無実であっても有罪判決を出された人は、世の中の人達の多くに「その罪を犯した」と思われて生きなければならないのである。

私も少し前までは、裁判官が無罪と言ったら無実なのだろうし、有罪だと言ったなら罪を犯したのだろうと単純に考えていた。
しかし、植草さんの事件に興味を持って、記録などをしっかり読んでみると2004年事件は警官の捏造、今回も決定的な目撃者証言により無実だと判明している。
映画「それでもボクはやってない」は、周防監督が数年がかりで裁判を丹念に傍聴し、多くの関係者から話を聞いて作られた、ほぼノンフィクションに近い内容である。
そこでは、99%有罪の現状から、無実でも有罪判決が出る今の裁判所の姿を浮き彫りにしている。

私の身近にも「裁判官の判断は絶対だ」と言い張る人がいる。
植草さんの無実を訴えてもわかってもらえない。
面倒な傍聴記や資料を読むのはまっぴらだそうだ。
「では、無罪判決が出たら無実だと思うか?」と聞いたら、その人は「思う。」と答えた。

公判では録音が禁止されている。
傍聴席もわずかしかない。
運良く傍聴できた人が書き取ったメモを頼りに、その他の人は公判内容を知るしかない。
マスコミは検察側に有利な情報しか出さない。
実際にどのような証拠が吟味されて、裁判官が最終的な判断を下したかは、一般人にはわかりにくい。
そのようなシステムで裁判を行っている以上、裁判官には公正な判断をしてもらいたい。
99%有罪にするという慣習にとらわれないでほしい。
by hirarin-601 | 2007-09-17 10:37 | 警察・検察・司法

熊八さんの名言

 『国家権力と個人の闘いを見守る上での、
  あるべき個人の立場について』


 当ブログにコメントしてくださる熊八さんが「植草事件の真相掲示板」に書かれたご意見ですが、秀逸なコメントなので、勝手ながらこちらに転載させていただきます。

☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。

私は、当事者や事件関係者ではないので、刑事裁判の鉄則どおり、被告人の側に立って考えようと思っています。
当事者や事件関係者ではない国民の態度としては、それが正当だと思います。何が起こったのか事実を知らないし、関係ないんですから。
国民が関心を持つべきは、国家が正しく権力を行使するかどうかです。国家権力の行使は自分にも関わってくる問題ですから。
そして、犯罪をきちんと摘発して、しっかり捜査して、犯人に刑罰を与えてくれているか。これも国民が関心を持つべきところです。しかし、この点については、警察・検察を信頼する限り、何も言うことはないのではないかと思います。
・・・<中略>・・・
国民が関心を持つべきなのは、国家権力が濫用されないか、人権が守られているか、という点になってくると思います。
何か事件が起こったとき、当事者・事件関係者でなければ、与えられる情報は圧倒的にマスコミ情報です。しかも、マスコミはべったりと警察・検察寄りです。容疑者・被告人に不利なリーク情報等を垂れ流します。
バランスを取るには、国民の立場としては、容疑者・被告人寄りに情報を検討するしかないと思いませんか? 警察・検察寄りの情報を、警察・検察寄りの立場を取って見れば、当然に偏ります。
そもそも、被告人と警察・検察とでは、個人vs国家権力ですし、捜査権やら何やら、圧倒的に国家権力が力を持っています。証拠なども全部、国家に取られてしまいます。被告人有利な証拠なんか出してくれません。被告人有利な証人も、国家権力が怖くてなかなか出て来れません。
そういう条件で刑事裁判は行なわれるので、だからこそ、バランスを取るために、「被告人には無罪の推定が及ぶ」であったり、「疑わしきは被告人の利益に」という鉄則があるのです。国家権力のほうが圧倒的に強いに決まってますから、そういうルールになっています。
したがって、当事者・事件関係者でない一般国民としては、事件を考えるとすれば、圧倒的に警察・検察寄りの情報の中、国家権力による人権侵害が無いかどうかをチェックする意味で、被告人側の立場に立つしか無いのです。

☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆。

 ※対話の中から抜粋しましたので、一般論でなく相手に向かって書いていると思われる箇所は一部略させていただきました。

 私の言いたいことを、識者らしい言葉で的確に表現されているのを見て、とてもうれしかったです。
by hirarin-601 | 2007-07-12 12:23 | 警察・検察・司法

裁判所の公正さを問う

 東京地裁が5日、植草さんの保釈許可を出したが、東京地検からそれを不服とする準抗告がなされ、その申し立てが認められて保釈取り消しとなった。
 逃亡の可能性、証拠隠滅の可能性のどちらかが認められたということらしいが、それはおかしい。
逃亡?・・・国内では顔が知れ渡っているし、日本以外に活動拠点を持たないので、国外逃亡もあり得ない。
証拠隠滅?・・・現行犯逮捕で被害者・証人は警察が押さえているのであり得ない。
被害者・証人を脅迫する可能性?・・・やろうと思えば植草さんでなくてもできる。
 どう考えてもおかしい。
 だいたい、このような微罪で準抗告がなされること自体が不自然だ。裁判所が準抗告を認めたのはもっとおかしい。これは大勢の株主に迷惑をかけた、インサイダー取引疑惑ではないし、不正経理問題でもない。

 日本は三権分立していないとはよく言われることだが、少なくとも建前だけは、三権分立を守っていたと思っていた。今回このような形で、モラルもプライドもかなぐり捨てて、べったりと検察にすり寄る裁判所の姿を見せられると、世も末だと思う。

 これは、単なる被害者がひとりの痴漢事件である。・・・と書くと、フェミニストの方々にお叱りを受けるかもしれない。しかし、私自身痴漢被害の経験はあり、その厭な経験を踏まえてみても、こんな長期の身柄拘束は理不尽なことこの上ないと思う。被害者の言い分が事実だと仮定しても、その「被害」とは一時的に不愉快な思いをさせられたということであり、傷害事件でもない。一方容疑を否認している植草さんは、奉職先の大学から免職処分を受け、自分の会社もパソコンを押収されて顧客名簿を奪われたために、情報配信の本業が立ちゆかなくなっている。実際の金銭に置きかえたら大損害をこうむっている。検察の準抗告が、単なる嫌がらせ以上に悪質なのは、容疑者の生活の道を断とうとしていることにある。
 植草さんが勾留され続けることによって受ける不利益は、それだけではない。裁判に備えるための弁護士との打ち合わせをする上での制約を受けるし、記者会見などをして、直接世論に訴えかける機会を奪われるのである。
 今東京地検がやっていることは、痴漢に遭ったという女性の訴えだけを尊重し、容疑者の権利を踏みにじるという非道なことだ。まだ捜査の過程であるにもかかわらず、容疑者となった一人の男性の仕事を奪い、その人の家族の生活を脅かすという罰を与えているのだ。これが社会正義と言えるのだろうか?
 もしも、自分の夫が、父親が、息子がこんなふうに逮捕されたら恐ろしいことだと思う。家族のため、生活のため、やっていないことであってもやったと認めるほかないだろう。そうしないと、ずっと勾留され続けなければならないわけだから。

 もしも邪悪な人間が誰かの名誉を傷つけようと思ったならとても簡単。例えば俳優を雇って痴漢容疑をでっち上げ、原則として「疑わしきを罰する」判決が下される痴漢冤罪裁判に持ち込めば良い。そんな映画のような悪夢の世界が、あながちフィクションだけではないと思えてしまった。
 ジョージ・オーウェルの小説「1984」に描かれているような密告社会が、すぐそこに迫ってきているような、底知れない不安感を持った。
by hirarin-601 | 2006-10-10 21:13 | 警察・検察・司法