一秀くんの同級生のブログ

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カテゴリ:痴漢冤罪( 8 )

ドラマに見る痴漢えん罪

昨夜、ドラマ「佐々木夫妻の仁義なき戦い」を見た。ふだんドラマはほとんど見ないのだが、弁護士夫婦の片割れの夫が覚えのない痴漢で捕まる話だというので、どんな対処をするのか興味深いと思い見てみた。
この回のタイトルが「えっチカン!?それでもぼくはやってない」となっていることからもわかるように、周防監督の影響が伺われ、映画「それでもボクはやってない」で描かれた事実がこのドラマの中でも随所に出てきた。
日本の刑事裁判では有罪率が99.9%であり、起訴されると必ず有罪にされることが、弁護を担当する妻のセリフになっていた。
「有罪になるように、なるように、ベルトコンベアに載せて行くんだから。基本的には刑事裁判は無罪なんて有り得ないようにできてるの!」

チカンはしていないという夫の言葉を妻は信じるが、それでも罪を認めて示談にした方が良いと意見する。そうすれば初犯なので弁護士資格が剥奪されることはなく、3ヶ月間の業務停止で済むからと。
3ヶ月の業務停止の方が、容疑を否認して裁判で戦うよりもダメージが少ないと考えるのは、頭の良い女性弁護士の合理的な判断だし現実に即していると思った。
また、チカン容疑をかけられた夫の弁護士は、骨の折れるわりには儲からない仕事をたくさん引き受けている正義感の強い弁護士で、更に潔癖で融通のきかないキャラだから、やってもいないチカンをしたと、形だけでも認めることはプライドが許さないという人物設定もよくわかった。

留置場で非人間的な扱いを受けることが、係官にパンツの中を覗かれるシーンで表現されていたり、取り調べでは刑事が容疑者の説明を聞く耳持たないところとか、目撃者探しのビラ配りをするシーンは、かなりコミカルに描かれていたが映画と同じだと思った。
大きく違うところは、目撃者を事務所に呼んで、被告人の夫が法廷での答え方をレクチャーするシーンだ。この部分はドラマの方が事実に即していないのだろうと思う。
植草さんの場合は目撃者と個人的に接触することは一切許されていない。

このストーリーは結局、被害者の逆恨みによるでっち上げだと判明して解決する。少し前に見たドラマでも、女性が恨む相手を新聞沙汰にして苦しめる目的で、チカンに仕立て上げるストーリーがあった。
実際は女性の悪意によって犯人にされるケースもあれば、女性に悪意はなくても人違いによって犯人にされてしまうこともある。どちらの場合も、警察は女性の話を全面的に信じて容疑者の訴えはまったく聞いてくれないし、裁判所にも正しい裁きをする力がなく、多くのえん罪被害者が生じているのが現実だ。
そういう現実がドラマを通じて広まることにより、えん罪被害者の苦しみが少しでも世の中の人にわかってもらえたらよいと思う。
こういうドラマが堂々と作られるようになったということは、「チカンえん罪」が世の中に浸透したということだろう。無実を訴える人に対する「チカンは犯罪だ」とか、「やってないと主張することは被害者に対する侮辱だ」という意見はもはや陳腐であり、当局側のプロパガンダとしか思えない。

最近、チカンで誰かが捕まったというニュースを聞くとすぐに「冤罪でなければいいな」という思いが頭をよぎるようになった。「容疑を認めている」という警察発表も報道もまったく信用ならないことは、植草さんの事件・その他で学習した。
また、チカンに限らず未解決事件の報道を聞く度に、早く犯人を捕まえて欲しいと思うのは以前と同じだが、同時に間違った犯人を捕まえないで欲しいと願うようにもなった。
凶悪事件の時効が成立したという報道を耳にする時、残念だと思うと同時に「無実の人が捕まらなくてよかった」とも思うようになった。
無実の人がえん罪で苦しむ社会はイヤだ。
by hirarin-601 | 2008-02-11 17:06 | 痴漢冤罪

冤罪被害者の人権を無視するな!

 先日の公判での求刑理由として「被害者の精神的ショックは大きい」と検察官が述べたそうだが、事件と直接関係のない被告人の私生活を再三にわたって暴露する検察官に、人権意識などあるのかどうか疑問だ。

 痴漢被害者の気持ちを考えろという人がいる。
 その人に言ってやりたい。
 冤罪被害者の妻や子供の気持ちを考えたことがあるか?と。

 被害者の気持ちはわかる。
 私も痴漢の被害を受けたことがあるから、そう言える。
 小学校5年生の時から、ラッシュ時に電車通勤していた20歳代まで、回数は覚えていないがイヤな人間にイヤな目に遭わされた。痴漢をした男の家族や仕事仲間にその者の所業を教えてやり、弱者に対し卑しい行為をする人間とのレッテルを貼ってやりたいと思ったものだ。
 けれども、私に加害した痴漢どもによって、自分の人生が変わったとは微塵も思わない。

 痴漢の被害者を思いやることのできる優しい人ならば、是非とも冤罪被害者の家族の気持ちを想像してみて欲しい。
 経験がないので私も想像するだけだが、間違いなく人生が変わってしまうだろう。
 自分の夫や父が、やってもいない罪に問われ、会社を解雇され、社会から追われたら、奈落の底に突き落とされるに違いない。
 子供だったら、人格形成期に父がそういう目に遭わされている姿を目の当たりにしてなお、社会正義を信じろと言う方が無理だろう。
 「やってもいない罪に問われる社会」の恐ろしさは、その子の心に深く刻みつけられることだろう。

 人生が変わるほど、踏みにじられ、傷つけられるのは、冤罪被害者とその家族である。

 傷つけるのは、正義の仮面をかぶった保身第一の警察・検察であり、それと癒着しているマスコミであり、真実を知ろうとしない無知な一般大衆である。
by hirarin-601 | 2007-07-23 14:05 | 痴漢冤罪

「お父さんはやってない」の谷田部夫妻

 5月9日水曜日の朝日放送「ワイド!スクランブル」で、山本晋也監督が矢田部夫妻をインタビューした。
 “矢田部夫妻”とは、周防監督に「それでもボクはやってない」を作らせる元となった痴漢冤罪裁判を闘い、一審で敗れるも控訴審で無罪を勝ち取ったご夫婦であることをご存知の方も多いと思う。
 『お父さんはやってない』(太田出版)という本も出ている。逮捕から高裁判決までの2年にわたる苦しみに満ちた日々が、夫・妻、それぞれの立場から描かれている。

 通勤電車を降りてホームを歩いているときに女性に呼び止められ「こいつ、痴漢」と言われた瞬間が、地獄の日々の始まりだったという。
 痴漢冤罪の被害者は、「話せばわかる」という穏やかな気性で、品行方正な人が多いように思う。矢田部さんも、「お前、ズボンのチャックをおろして、キンタマ握らせたんだってな!」と警官に言われて「なんなの、それ?」と面食らってしまったそうだ。
 矢田部さんが当日着用していたズボンにチャックはなく、女性との身長差を考えると不自然に屈まなくてはその行為ができないことはすぐにわかる。それでも警官は、取り調べで矢田部さんを犯人と決め付け、机をバンバン叩いた。それはまるでテレビで見るシーンとそっくりなので、最初は冗談かと思って笑いそうになったと矢田部さんは語る。本人は「やってない」と言ってるのに、「私は電車内で陰部を露出し・・・」と警官が勝手に調書を作文しようとしたのだそうだ。
 こういう話をいたる所で聞くと、
「調書は警官の作文であり、時として捏造が行われる」というのは、
「警官が捜査もせずに痴漢の被疑者を犯人と決め付ける」ことと合わせて、もはや既成事実である。このことを声高にして世に広めたい。

 矢田部夫人は理路整然と話をされる方で、ご主人の無実を微塵も疑わず、常に冷静に対処するような、ご主人にとってはとても頼りがいのあるパートナーに見受けられた。そんな方でも、夫が職を失って精神的におかしくなると、だんだん支えきれなくなり、あわや一家心中未遂というところまで追いつめられたのだそうだ。
 冤罪被害者で自殺を企てた人は、私が知るだけでも、植草氏以外の痴漢冤罪被害者の方々や、鹿児島事件の冤罪被害者の方々がいる。植草氏の自殺未遂について、「逮捕されたのが恥ずかしくなったからだ」と言う人がいた。それは権力に追いつめられた人間の心理を知らない人の言葉だろう。そもそも「恥」の感覚を持った人なら痴漢などしないはずだ。「痴漢」という恥知らずな行為をする一方で、逮捕されたことを恥じて死のうとするような矛盾する性格を併せ持つ人間が実在するのか疑わしい。もしもいたなら実例をあげて欲しいものだ。

 痴漢裁判の有罪率は99.86%だと、この番組でも伝えていた。小数点第二位の数値を四捨五入すると、なんと99.9%となる。
 パ・リーグの「楽天」がいくら弱くても、1000試合やって999試合負けるなんてことはありえない。もしもそうだとしたら、そんな試合をさせること自体が無意味であり、前提となる条件が不公平だと見るべきである。同じ土俵で戦っているとはとても言えまい。大相撲で強いと言われる横綱であっても、長期間にわたって一人勝ちを続ければ、八百長との疑惑が持たれる。
 イギリスでは無罪を争う裁判、つまり被疑者が容疑を否認している裁判での有罪率は50%程度だそうだ。否認の場合でも、日本の裁判の有罪率は97%と異常に高い。高い有罪率の裏には、捜査機関の逮捕・起訴に対する慎重な姿勢があるとされているが、これも最近相次いで明らかになってきた警察による自白強要を見れば、有名無実化していることがわかる。
 英米法では一審で無罪になったら、検察は上訴することができないルールなのだそうだ。このルールだったならば、「名張毒ぶどう酒事件」も、一審で無罪が確定しているはずだった。ところが日本の刑事裁判では、一審で無罪判決が出ても必ず検察官が控訴し、控訴審ではかなりの高い確率で逆転有罪判決が出て、最高裁上告はなかなか認められずに、有罪判決が確定することが多いのが実情だそうだ。同じ罪状で何回も裁かれる被告人への、精神的配慮が全くない。権力側にあまりにも有利なルールではないか。
 余談になるが、鈴木宗男・衆院議員が11日、衆院法務委員会で質問に立った。鹿児島事件で被告が「自白」を強要されたことを取り上げ、強引な捜査を防ぐために取り調べの模様を録画・録音するよう求めたそうである。 鈴木氏にエールを送りたい。

 インタビューの最後に、矢田部さんは、「裁判所は公正な判決を、冤罪で苦しんでいる人に下してくれることを祈るのみです。」と語り、夫人は「(痴漢冤罪とは)他人事ではなく、自分の家族が巻き込まれるかもしれない、身近なことだと思います。世の中がどういうしくみで動いているのか、普通の人たちも関心を持ってほしいなと思います。」と締めくくった。
 「もし、あなたが?あなたの家族が?」というテロップが出て、画面はニューススタジオに戻った。

山本監督 「僕らは、法廷で公正な・公平な裁判を受けられると思って安心してますよね。でも有罪率99.86%の痴漢裁判なんです。痴漢という行為に対する偏見のようなものが司法関係者にあるのかも知れないです。」
大下アナ 「私もお伝えするときに、容疑者というだけで自分も色眼鏡で見て伝えているようなところもあるような気がして、『疑わしきは被告人の利益に』というか『まだわからない』という目を持たなければいけないなあと思いました。」
 (マスメディアによる「犯人視報道」に気付いてくれてありがとう!)
山本 「今おっしゃった『疑わしきは被告人の利益に』って言うでしょ、でも痴漢裁判に関しては『疑わしきはクロ』なんです。」
一同 「(溜息)」
大下 「そこが大原則に反している…。」
山本 「それとですね、電車の中で手を挙げてつり革につかまってりゃいいとか、いろんなこと言いますけど、降りた時に女性が『あなた痴漢よ。駅員さんちょっと来て』と言われたら、その時が逮捕なんです。」
大下 「現行犯逮捕ですね。」
山本 「警察官に逮捕されるのじゃなく、『あなた痴漢したでしょ』と女性が言った瞬間が現行犯逮捕なんです。」
山本 「疑わしきはクロですからねえ。女性に言われたらその場で逮捕ですから防ぎようがないんです。」

 控訴審で無罪が確定した矢田部夫妻は、元の生活を取り戻したように見えた。一度辞めた会社にも戻ることができた。しかし、苦しみに満ちた2年間は戻ってこない。拘束されていた期間、失業していた期間の失われた収入に対する刑事補償はたったの115万円だったそうだ。かたや、裁判にかかる弁護士費用が600万円。無罪になったからといって、国が支払ってくれるわけではない。
 それでも谷田部夫妻は運の良いほうだ。
 無罪を勝ち取っても、元の生活を取り戻せない人もいるし、有罪判決を受けて人生を狂わされてしまった人が何百人もいるのだ。「ワイド!スクランブル」には引き続き、このような方々を是非取材していただきたい。

 無罪を訴え、裁判に負け、職場を、家庭を、人生を奪われた人の手記を最後に紹介しておく。
 
  「痴漢えん罪被害者ネットワーク」のサイトより
            「山手線事件」
by hirarin-601 | 2007-05-14 03:59 | 痴漢冤罪

映画『それでもボクはやってない』を見て

 痴漢冤罪裁判を淡々と綴った映画である。
 一般人が考えている裁判と、現実との違いをこの映画が伝えてくれることによって、冤罪被害者はものすごく救われると思う。少なくとも「無実の人が有罪判決を受けるはずがない」という一般人の思い込みが、大きな間違いだとわかるだけでも、どれだけ救われるかわからない。
 周防監督、この映画を作ってくれて、本当にありがとう!
 全国の冤罪被害者があなたに感謝していると思います。

 不条理、リアリティーといった、およそ日本人受けのしない題材だが、キャスティングでもわかるとおり、ところどころコミカルなシーンもある。痴漢冤罪に問われた主人公の苦悩を、優しく見つめるような視点で描く。映画全体に流れる優しさに救われるが、主人公の現実は絶望のまま終わる。
 普通の生活者が突然社会から排斥され、人間としての尊厳を著しく傷つけられる。これは誰にでも起こり得る不幸である。そしてそれは、罪を犯した自覚のある人になら受け入れられるものだろうし、反省することによって新たな人生を切り開いて行くこともできるだろう。
 しかし、罪を犯していない人には反省などできるわけもなく、社会不信、人間不信に陥るだけではないだろうか。主人公・徹平のように、自分を裁いた裁判官を心の中で裁くという、確固とした自分というものがなければ、冤罪被害者は自己破壊してしまうのではないだろうか。
 それでもこの映画は、誰かを「悪」と決めつけたり、糾弾するのではなく、むしろ一人一人は職務に忠実な人々が、全体として間違いを犯し、罪のない人を徹底的に痛めつけてしまう現行のシステムを、あくまでもありのままに描いているのである。多分一人一人は悪人ではなく、その自覚も無い人達が、マニュアルどおりの仕事をすることによって、結果として悪魔の仕業をしてのけるところに、背筋の凍るような恐ろしさを感じるのである。

 痴漢被害に遭う少女の悲しみや怯え苦しむ様子も、きちんと描かれている。被害者の少女は、精神的に大きな犠牲を払いながらも勇気を持って法廷で証言する。にもかかわらず、真犯人の検挙にはつながらず、無実の人を罪に陥れることに手を貸してしまうことになるのが、二重にかわいそうである。自分が被害を受けたからといって、犯人でない人を罰するのはこの少女の本意ではなかったろう。
 痴漢の被害者が間違った犯人を捕まえた場合、今の警察には真犯人を割り出すことができないどころか、現行犯逮捕された人が真犯人かどうかを疑う機能さえ備わっていないのだ。

 有罪か無罪かが未決の人に対して、人権蹂躙に近い行為が普通に行われている事実も、映画は伝えてくれる。
 特にひどいものを挙げると
1.検察庁地下同行室では、身動きもままならない、トイレのプライバシーもない狭い部屋で一日中黙ってすわっていなければならない。
2.被告人が勾留中に行われる裁判では、腰縄と手錠をかけられた姿で傍聴人の前に引き出される屈辱を味わわされる。

 これが日本の法律なのかと驚いたのは、徹平の友人と上京してきた母親が、逮捕から4日目になってようやく、徹平が留置場に居ることを知ることだ。被疑者が頼まなければ、身内に知らせることもない。これでは拉致・監禁と同じではないか。
 
 また、痴漢の現行犯だというのに家宅捜索をして、個人のプライバシーを暴くのも警察の常套手段のようだ。映画では、家宅捜索で押収されたアダルトもののDVDや雑誌について、検察官が被告人にネチネチと質問するおきまりのシーンが描かれている。
 一方で、主人公の担当になった若い女性弁護士に、この押収物について主人公を非難するセリフも言わせている。男性の生態を身近に観察する経験のない女性にはわからないのだろうし、実際には既婚女性であっても、夫がアダルトサイトに接続したのを知ってショックを受けるといったナイーブな御仁がいることは確かだ。
 成人男性がアダルトDVDなどを持っている、または鑑賞したことがあるというのは、男性なら皆暗黙のうちに了解していることなのに、男性である検察官が、法廷で被告人のプライバシーを晒して辱める行為は悪辣だし欺瞞に満ちていると思う。またそれを、さも異常なことのように報道するマスコミ男性諸氏に、「恥ずかしくないですか?」と聞いてみたい。

 裁判のシーンに重点を置いた為、主人公をしがらみのない独身フリーターという設定にしたが、妻子持ちの中年男性にするかどうかで、監督は最後まで悩んだそうだ。
 妻子持ちの中年男性が主人公だったら、物語は複雑な人間ドラマとして描かれたのだろう。妻の心の葛藤、子供の心のケア、退職を迫る会社との闘いなど、実際に冤罪被害者が直面してきている問題も深刻で奥が深い。これをテーマに是非とも続編を作って欲しい。
 冤罪被害者は社会的にもひどく傷つけられ、居場所を奪われて、家族共々その後の人生を変えられてしまうのだ。そういう状況で辛い思いをしている方々が、この日本にたくさんいるのである。


 周防監督が数年かけて調べ上げた裁判の現実がセリフに込められているので、書いてみる。

「痴漢冤罪事件にはね、日本の刑事裁判の問題点がはっきりと現れてるんだ」
「調書は、取調官の作文です」
「否認しているといつまでも勾留して自白を迫る。こういうのを人質司法っていうんです」
「裁判官が無罪に臆病なのは、今に始まったことじゃないんだ」
「起訴したからには、絶対に有罪を取る。それが検察官の仕事だ」
「弁護側の反証・・・理屈の上では、検察側立証の弱点を指摘するだけでいいんだけど、現実の裁判はそう甘くない。こちらから積極的に無罪を立証できないと負ける」
「無罪を出すというのは、警察と検察を否定することです。つまり、国家にたてつくことですよ。・・・無罪判決を書くには、大変な勇気と能力がいるんです」
「怖いのは、99.9パーセントの有罪率が、裁判の結果ではなく、前提になってしまうことなんです」
「無実であるなら裁判で明らかになる、裁判官は分かってくれる、そんな風に考えてたら、とんでもないことになる」
「僕は初めて理解した。裁判は真実を明らかにする場所ではない」

 また、「無罪病」と揶揄され、職場では能力が低いとされてしまっているひとりの裁判官に、重要なセリフを言わせている。
「刑事裁判の最大の使命は、無実の人を罰してはならない、ということです」


 ラストには心にズシっと響く言葉が連続して出てくるが、それは書かないでおこう。
 まだの方は、是非映画館に足を運んでいただきたい。


 なお、冤罪に詳いジャーナリストの江川紹子さんは、プロらしい視点でこの映画についてお書きになっている。
江川紹子ジャーナル/社会のこといろいろ/冤罪の映画を見る(上)
by hirarin-601 | 2007-02-22 15:56 | 痴漢冤罪

もしもあなたが痴漢に間違われたら?

おもしろいサイト見つけました。

「痴漢冤罪回避シミュレーション」

是非シミュレーションしてみてください。
by hirarin-601 | 2007-01-19 23:08 | 痴漢冤罪

 今年の漢字は「命」に決まったそうだ。
 確かにお目出度いことはあったけれども、今年ほど人の命が軽んじられた年はなかったように思う。自殺者は年々増えているというが、いじめを苦に自殺した子供達の数の多さには胸が痛む。自殺したたくさんの子供達が、身をもって「世の中がおかしいよ」と教えてくれているような気がするのは私だけか。
 腹立たしいのは、遺書を残して自ら命を絶った子供の訴えが、一部の大人によって握りつぶされようとしたことだ。命がけの訴えが長期間放置されて、ご遺族はどんなに悔しい思いをされたことかと思う。それほど、世の中の人は子供に対する思いやりがなく、他人の悲しみに鈍感になっているのだと淋しくなる。
 
 第一回公判があった今月6日の、植草さんの自殺未遂報道の軽々しさにもやるせなさを感じた。いったいご家族は、どんな気持ちでこの報道を耳にされたことだろう。私にとっても他人事ではない。公判で読み上げられた、植草さんご自身の意見陳述書が公表され、その中に自殺を決行したという記述がありショックを受けた。自殺に追い込まれる心理とはどんな状態なのだろう。明るく積極的な人である彼ほど「自殺」から遠い人はいないと思っていた。

 植草さんは御自分の心の動きをこう語る。
『このままでは私が犯人にされてしまう。そうなればマス・メディアは無責任で一方的な情報を土石流のように氾濫させ、家族が想像を絶する報道被害に直面する。あげくの果てに有罪にされてしまうかもしれない。家族の報道被害を最小に食い止めて家族を守るには、いま私が命を絶ち、すべてを遮断するしかない。』
        ───『12月6日第一回公判での植草一秀氏意見陳述書』より───

 植草さんは二年前にもひどい報道被害を経験している。最初から無実を訴えているのに「罪を認めた」と誤報を流し続けるマスコミ。事件と関係のない私生活が晒され、あたかもそれが証拠になるがごとく歪曲されて報道される。ご家族もたいへんな思いをされたに違いない。愛する家族を悪意に満ちたマスコミや世間から守るために、御自分の命を断って抗議するしかないと思ったのだろう。

 植草さんのような状況では、間違いなく犯人にされ、必ずと言っていいほど高い確率で有罪になる。本当にやっていなくても、男性側の無実の訴えは決して認められず、被害女性の証言だけで有罪を宣告される。これは誇張でも何でもない。今、日本で行われている痴漢冤罪裁判の真実・実話なのである。

『ぼくは痴漢じゃない!』の中で解説を書いている升味弁護士は、いみじくも「有罪行きベルトコンベア」と名付けた。ここから、少し引用する。

−−−(以下引用)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
恐怖の「有罪行きベルトコンベア」構造
 多くの人が知っている「無罪の推定」の原則があります。だから本当なら逮捕されても、法律上は無罪の推定を受けるはずです。
 しかし現実は、逮捕の時点で「有罪行きベルトコンベア」にぽっと乗せられてしまって、あとは流れ作業みたいなものです。元検察官の弁護士が、日本の刑事事件は、一番初めに事件を担当する巡査部長が処分を決めていると言っていました。こいつが犯人だと考えた巡査部長が逮捕状を請求し、その逮捕状の請求に理由や必要があるかどうかをチェックするはずの裁判官がノーということは皆無です。事件が検察官の手にわたっても、そこで事件が被疑者の側から点検されることはなく、起訴に至れば、裁判官の審理を受けても100に一つも無罪にならず、相場の刑を言い渡されるからです。
 しかも、現行犯逮捕のときはその逮捕に至るまでの間、チェック機能を果たすものがまったくありません。その場の判断のみで、いきなり逮捕されてしまいます。さらには私人による現行犯逮捕もあります。こうなると、日本の刑事司法の現状とあいまって、私人である、被害を受けたという女性の確信だけで、「有罪行きベルトコンベア」は動きだしてしまう。これらはいわゆる「痴漢冤罪」が明らかにした、日本の刑事司法のとても恐い点と言えるでしょう。
−−−(引用終わり)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 植草さんの意見陳述には、次のような記述もある。
『検察官は、「否認を続ければ、裁判で私生活を攻撃して家族を徹底的に苦しめてやる」と学校等でのいじめを意図的に誘発するとも受け取れる発言を繰り返し、また警察官は、「否認して裁判になれば必ずマスコミのえじきになる」、「否認すれば長期の勾留となり小菅に移送される」と繰り返し述べ、罪を認めることを迫り続けました。』
      ───『12月6日第一回公判での植草一秀氏意見陳述書』より───

 これも決して誇張ではない。
 『痴漢「冤罪裁判」』の事例の中には、「警察のイヤガラセ」としか思えないことをされた人の体験談が出ている。被疑者の娘の家庭教師の自宅にまで、被疑者の人となりについて、刑事が聞き込みに行ったという。恐らく警察沙汰になるような事件を起こしたという話をされた両親に言われて、その家庭教師はやめることになったそうだ。また、この被疑者の通っているテニスクラブにも、刑事が聞き込みに来て以来、仲間の視線が冷たくなり、別の時間帯に通わざるを得なくなったそうだ。
 「聞き込み」と称して、刑事が家族の関係者にデマを吹き込みに行くという卑劣なことが、実際に行われているのだ。
 
 「否認すれば長期の勾留になる」と脅され、自白を迫られるというのは、冤罪と闘った人達の書いた本の中ではどのケースでもお馴染みの場面であり、きっと警察のマニュアルにもそのように書いてあるのだと思わせるものがある。
 ひどいことが、当たり前のように行われているのである。

 痴漢の被疑者から依頼を受けた弁護士は、依頼人が罪を認めてくれるとほっと胸をなで下ろし、否認すると重たい気持ちになるのだそうだ。なぜなら、罪を認めてしまえば初犯なら罰金を払うだけで簡単に済み、否認すると裁判で膨大なお金と時間を犠牲にして闘ってもほとんど無罪は勝ち取れないからだ。弁護士としては、たとえやっていなくても、そんな犠牲を払ってまで無罪を主張すべきだとも言えないそうだ。

 それでも、被疑者が無罪を主張するのは、プライドゆえである。自分の尊厳を守らなければいけないと言う信念があるからだ。植草さんは二年前にも、やってもいないことで屈辱的な濡れ衣を着せられて、プライドは大いに傷ついていたのだろうとお察しする。
 痴漢をするような人間が、家族への愛のために死のうとするものか!
 このことのみでも、植草さんの無罪が立証されたようなものだと、私は思う。

 植草さんは、無実を主張して抗議の自殺をしようとした。
 担当の検事さんと、被害を訴えている女性に一言問いたい。
 「あなた方は、それぞれ御自分の主張に命が懸けられますか?」



※12月6日第一回公判での植草一秀氏意見陳述書




参考図書
 『痴漢「冤罪裁判」 ──男にバンザイ通勤させる気か!』 池上正樹著 小学館文庫
 『STOP 痴漢えん罪 ──13人の無実の叫び』
              痴漢えん罪被害者ネットワーク編 現代人文社
 『ぼくは痴漢じゃない!』 鈴木健夫著 新潮文庫
 『お父さんはやってない』 矢田部孝司+あつ子著 太田出版
by hirarin-601 | 2006-12-18 05:20 | 痴漢冤罪

キリスト者になった冤罪被害者

 「ぼくは痴漢じゃない!」(鈴木健夫著・新潮文庫)という本を読んだ。
 電車の中で痴漢と間違われ、一貫して無実を主張するも、裁判では一審で有罪、控訴してやっと無罪を勝ち取るサラリーマンの手記だ。
 一審では、矛盾や変遷の多い被害者一人の証言が認められ、「恥ずかしさを押して痴漢の被害を申し出た女性」の証言は十分信用できるという理由だけで有罪になってしまった。

 『刑事訴訟の原則から言えば、有罪を立証しなければならないのは検察官ですが、実際はそうではありません。こんなことはありえない、こんなに変だと言って、検察官の主張を完全に壁際まで追いつめてようやく無罪になるかどうかというのが今の刑事司法の現実、弁護士の実感なのです。』(「第二部 升味弁護士による解説」より)

 たったの5万円の罰金で出られるのに、会社を辞めさせられ、弁護費用も払って大損しながら、人生をかけて無罪を主張していることの重みを考えて欲しいと、弁護士さんは控訴審で訴えたそうだ。
 1年9ヶ月の長い闘いの後、やっと無罪を勝ち取るが、鈴木さんの人生は大きく変わってしまった。会社は事実上解雇され、鈴木さん自身も心に大きな痛手を負い、仕事を次々に辞めざるを得なくなった。もう決して大手企業の営業職に就くことはなく、失った人生は決して取り戻せなかった。
 鈴木さんの恨みは深い。
 痴漢被害を訴えた女性、取り調べた警察官、検事、裁判官の一人一人、そして切り捨てた会社を呪っている。
 無実の叫びを無視され、普通の平和な暮らしをしていた人が、いきなり非人間的な扱いをされる。「推定無罪」の原則が通らない、異次元世界に放り出されたショックはどんなだったろう。ご家族もどんなに苦しんだことだろう。

 鈴木さんの不幸は、法律が作り出したものだ。
 この本の中で升味弁護士は、本人と家族の受けた無形の傷のすべてを実質的に回復するのは無理だが、せめて被疑者と家族の蒙った経済的不利益だけでもフォローする制度が確立されなければならないと書いている。
 無罪になった鈴木さんが国から受け取ったのは、たったの75万円。それでは弁護人への報酬の半分でしかない。一方、鈴木さんが失ったものは、逮捕されてから無罪判決が出るまでの二年にわたる時間と安定していた職。定年後にもらえるはずだった年金と実際にもらえる年金の差額は2千万以上だという。

 社会制度全般に対し、やり場のない憎しみと悲しみに打ちひしがれ、それまでの生き方すべてを変えなくては生存できなくなったのだと思う。
 鈴木さんはキリスト教を勉強するようになったそうだ。
 昔で言えば、世をはかなんで出家するようなものだと思う。
 それほど、社会や人間への不信感は根強く、普通のやり方では人生をやり直すことができなかったのだと思う。
 鈴木さんは最終的に無罪を勝ち取ったけれども、社会的には救済されていないし、精神的に受けたダメージも、制度は何も補償してくれない。
 鈴木さんのご家族も、さぞ困難な人生を強いられたことだろうし、それまでの生き方を大きく変えられなければならなかったことだろう。
 何の罪もないのに。
by hirarin-601 | 2006-12-06 09:57 | 痴漢冤罪

痴漢は決して許さないけれど・・・

 当然のことながら、痴漢は憎むべき犯罪です。
 私も首都圏に住んでいたことがあるので、被害経験があります。(かなり昔の話ではあります。)怖かったので、助けを呼ぶとか声を出すとかはできませんでした。大きいバッグで体を覆うようにして、身を守るのがせいぜいでした。
 痴漢は皆、卑しい顔をしています。ブ男しかいません。(と思うのは私の偏見でしょうか。)

 厭な思いをするたびに、腕っぷしを鍛えて、鉄拳制裁してやりたいと思ったものでした。捕まえて駅員に突き出せたら、どんなにすっきりしただろうなあ。痴漢が卑劣なのは、そんな知恵もついていない、一見おとなしそうな、ごく若い女性しか狙わないところかもしれません。
 絶対に許せません。
 自己の行為がどれだけ女性の心を傷つけるかということに早く気付いて、深く反省してもらいたいと思います。

 でも、痴漢野郎といえど、その人の人生のすべてを滅茶苦茶にしてやりたい、とまでは思いません。
 近頃は、女性の勘違いや悪意から、やってないのに痴漢にされ、ひどい目に遭った男性もいると聞きます。
 気の毒な話です。


 先々週、植草一秀氏が痴漢容疑で逮捕されました。
 実は、私は2年前の品川駅事件は冤罪だと思っている一人なのです。
 今回はまだ捜査の段階であり、本人の弁も伝え聞くだけですが、真相が早く明らかになってほしいと思っています。

 ゆうたまさんの「植草氏を応援するブログ」のコメント欄に出てきた質問に、「自分の娘が痴漢の被害に遭ったのだとしたら、どう思いますか?」というのがありました。
 
 勿論、私なら絶対に許さないです。
 犯人を捕まえたなら、きちんと謝罪してもらいます。
 けれど、捕まえた人が犯行を否認したとしたら、その人が犯人に100%間違いないかと、自分の娘に確認させるのが先でしょう。
 別の可能性がないかよーく考えさせます。
 もしも間違っていた場合に、罪のない人の人生を狂わせてしまう方が恐ろしいです。

 痴漢被害を受けた不快感は、いずれ時が癒してくれますが、間違った相手を告発してしまったら、罪悪感は一生消えないと思うからです。


by hirarin-601 | 2006-09-27 06:42 | 痴漢冤罪