一秀くんの同級生のブログ

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カテゴリ:少年時代の植草さん( 7 )

夏の思い出

 小学校三年生の時、クラスの親しい友達数人の親子で海辺の別荘に泊まりに行った。その時の写真が手元にあり、かずちゃんも写っている。
 詳しい経緯はわからないが、母親同士6人の仲良しサークルで、夏休みに一緒に海へ行きましょうということになり、私の父が勤めていた会社の別荘が自由に使えたので、母子で行くことになった。(私達は「別荘」と呼んでいたが、要するに「会社所有の福利厚生施設」である。)クラスの友達で、私を含む女の子四人と、かずちゃんを含む男の子二人、そしてそれぞれのお母さんと兄弟達も一緒の、にぎやかな楽しい旅行だった。

 写真に写っているのは、海で浮き輪をつけて泳いでいる女の子達や、ゴムボートに乗っている男の子達。砂にまみれた子供達。別荘のテラスで西瓜を切っているかずちゃんのお母さん。ニッコニコ顔で砂浜を歩いているやせっぽちのかずちゃん。みんなで写っている写真もある。
 私の母を含め、この写真の中の数名が既に他界しているんだなあ。とにかく楽しかったなあと、ただただ感傷にひたる。この時の一番の思い出は、女の子達とうっそうとした茂みの中を探検に行ったこと。
その時男の子達が何をしていたのかはわからないし、この小旅行でかずちゃんとどんな言葉を交わしたかも覚えていない。

 セピア色の幼い頃の思い出である。
by hirarin-601 | 2006-11-13 14:01 | 少年時代の植草さん

ベストテン

 小4の時受け持ちになったS先生は独特な教え方をした。「ベストテン」という競争方式だ。
 どうやるかというと、まずクラス全員の名前を書いた棒グラフを教科別に作って、壁に貼っておく。授業で先生が問題を出したら、生徒は答えを書いたノートを教壇まで見せに行く。正解なら先生に「ベストテン!」と言われ、黒板に自分の名前を書く。先着10人までが名前を書くことができた。そしてこの10人は、後で棒グラフの自分のところに1マス赤いマジックで塗って良いことになっていた。正解が多くなればグラフも伸び、その教科の勉強がよくできていることが、クラス全員に一目瞭然となる。
 これには私も燃えた。今思えば、意欲のない子供のモチベーションを高めるには抜群の指導方法だ。私は見事にはまり、家に帰ってからも勉強するようになった。学校の勉強を一生懸命やったのは、その時が初めてだった。
 S先生のやり方のポイントは、努力した者が報われ、褒められるということだ。何らかの努力が認められると、ボーナスポイントがもらえた。そして、めったに褒められない子も、時にはベストテンがもらえるように配慮がなされていた。同じ班の子供同志で、教え合ったり助け合ったりするようにさせたのだったかもしれない。この方式でクラス全員の学習意欲が向上したと思う。S先生には今でも感謝している。

 さて、このころはかずちゃんの他にも勉強のできる子は何人もいたし、ベストテンのグラフが伸びているのはかずちゃんだけではなかった。彼は勉強ができるのを鼻にかけるようなことは決してなく、周囲も彼を特別視しなかった。けれども、彼を「並はずれている」と感じさせたエピソードがある。

 理科の時間に、「卵の黄身と白身では固まる温度が違うので、ポットの中に卵と70度のお湯を入れ、一晩おくと黄身だけ固まっているはずだ」と先生が言った。別に宿題と言われたわけでもないので、ほとんどの生徒はそのまま何もしなかった。次の日になって、かずちゃんともうひとりの男の子が、卵の入ったポットを持ってきた。先生が卵を割ってみたところ、ちゃんと固まっていなかったが、このふたりは努力が認められてベストテンをもらった。
 私は、ベストテンがもらえるならやってみればよかったと思った。そのまた翌日、今度はかずちゃんだけがポットを持ってきた。前日のよりうまい具合に黄身が固まっていた。先生はこの日もベストテンを進呈した。なんだ、今日ももらえたのかと、少し悔しく思った。でも、かずちゃんだってこの日もベストテンがもらえるかどうかはわからなかったはずだ。どうしてそんな面倒な実験をわざわざやったのかな?と考えて気付いた。
「かずちゃんはベストテンが欲しくてやったんじゃなく、知りたくてやったんだ。」

 私が勉強をがんばるのは、先生に褒めてもらいたい、友達に負けたくないという理由からだった。しかし、彼のモチベーションは他者から与えられたものではなく、自ずから備わっているものだった。
 彼の向上心や探求心が、一体どこから来るのかはわからなかった。ただ、私は彼を見ていて大いに啓発され、自分ももっと積極的に物事に取り組まなければいけないと思った。小学校の六年間、彼の言動から教えられることは多く、良い子供時代を送ることができたと思う。

 彼という同級生を持てたことは、私の人生の宝だと思う。かずちゃんには心から感謝している。
by hirarin-601 | 2006-10-05 10:32 | 少年時代の植草さん

努力の人

 エリートと言われる人を闇雲に批判したい人達の決めつけ方のひとつに、「お勉強だけして、まともな人間形成をしてこなかった」というのがある。事件後、彼をこんなふうに言う人がたくさんいたが、かずちゃんは勉強だけをしてきたわけではない。

 彼は小学校六年生の時は、ブラスバンドクラブに入ってクラリネットを吹いていた。私は五年生からこのクラブに入っていたが、指導の先生が厳しかったので、皆真面目に放課後の練習に出ていた。
 中学生になってからは、一度も同じクラスになったことがないので詳しくは知らない。クラス対抗合唱コンクールの指揮者をしたこと、生徒会長になったこと、運動会の応援団の指揮を執ったことは知っている。ただ、彼が何らかのリーダー的役割をしていたのは誰もが想像するとおりなので、ここで特筆すべきこととは思わない。彼がテストで一番になっても驚かなかったが、私が心底びっくりしたのは、彼が素晴らしいアスリートぶりを発揮した出来事だ。
 小学生の頃は体も小さくて、体育は苦手のようだった。その彼が、中学生生活最後の運動会のマラソンで、なんと優勝してしまったのだ!
 その中学校の生徒数は全部で千人弱だったろうか。男子の中で一番と言うことは、女子も含めた誰よりも早いということになる。彼よりもっと体格も良く、スポーツ万能と言われる生徒は大勢いた。その中で一位を取ることがどんなに難しいことか。しかも得意分野でない体育系で一番になるのが容易なはずはない。人の知らないところで、彼はどんなに懸命に練習したのだろうかと思った。

 彼を「お勉強だけしてきて…」とか「努力もしないで…」と言った人達は、嘘を言っていたのである。メディアを通じて嘘を流布するのは、恥ずべき行為である。揶揄した人達にもしも良心があるなら、軽々しい言動を深く反省し、きちんと謝罪して欲しい。
by hirarin-601 | 2006-10-03 22:55 | 少年時代の植草さん

かずちゃんの家

 かずちゃんの家には一度だけ、誕生日に招かれて行ったことがある。
 私たちが小学校1、2年の頃のことだから、昭和42、3年のことである。クラスの友達何人かを家に招いてお誕生パーティーをしていたが、たぶん私が自分の誕生日に彼を招いたので、そのお礼に誘ってくれたのだと思う。

 彼の家は庭付き一戸建てで、新しくてきれいだった。庭には花壇があり、犬を飼っていた。当時借家住まいをしていた自分の家と比べると、とても素敵な家に見えた。
 ごちそうに何が出たのか記憶が定かでないが、プリン・アラモードのようなデザートが、ひとり分ずつ器に盛られて出たのは覚えている。こんなハイカラなデザートを、お母さんが作っているのかとびっくりした。
 いつもかずちゃんと一緒に遊んでいる男の子が、スタスタと二階の子供部屋へ入って行ったので、その子の後から付いて行き、かずちゃんの勉強部屋を少しだけ見ることができた。私が家で自分の机を持てたのは高学年になってからだったので、彼が自分専用の学習机を持っていたのに驚いた。今なら普通なのかもしれないが、すごい機能のついた机に見えた。顕微鏡や望遠鏡もあり、教育熱心なご家庭だったことが伺われる。

 かずちゃんのお父さんが、玄関で私達を慈しむような、仏さまのような笑顔で出迎えてくれたのを覚えている。お母さんのよく響く明るい笑い声も、断片的ではあるが印象深く記憶している。
 今それらの記憶をたどると、ご両親に愛されていた彼の姿が浮き彫りになる。底抜けの明るさ、人への優しさ、聡明さ、積極性などの、私が初めて出会って瞠目した彼の数々の美徳は、この堅実な温かいご家庭で育てられたのだと思う。

 その彼が、このご両親を裏切ってまで、二度もの愚考を重ねたとは、どうしても思えない。
 彼はいつも爽やかで、正々堂々としていた。
 その彼が、卑劣で稚拙な犯行を繰り返したというのが、どうしても腑に落ちない。
 私にとっては、ライオンがバナナを食べたとか、松の木に林檎がなったと聞いたのと同じ、奇妙なありえない話だ。
by hirarin-601 | 2006-10-02 13:21 | 少年時代の植草さん

アベック

 かわいい思い出がある。
 小学校に入学して、まだそんなに経っていない頃だったと思う。
 学校からの帰り道でかずちゃんと一緒になった。
 ポツポツ雨が降ってきたが、私は傘を持っていなかった。
 かずちゃんが自分の傘に一緒に入れてくれた。
 彼はこういうことを、ごく普通にしてくれる子供だった。

 何を話したのかは覚えていない。でも彼と話すのがとても楽しかったのは覚えている。
 この子ともっと話がしたい、お友達になりたいという気持ちが湧き起こった。

 ちょうどその時、同じ小学校の年上の男の子達が3、4人後ろから走って来て、
「アベック、アベック」とからかって去って行った。
 二人ともびっくりして走りだし、そのままそれぞれの家まで逃げ帰った。
「男の子と女の子はアベックなんだ!」
と知って、それ以後、かずちゃんと私が特に親しくなることはなかった。

 この時の、私が彼を好もしいと思う気持ちは、異性に対するものなどではなく、「善いもの」に対するあこがれだったと思う。
 同性同志だったらもっと仲良しになれたに違いない思うと、ちょっぴり残念だ。
by hirarin-601 | 2006-10-01 10:10 | 少年時代の植草さん

正義感と優しさ

 小学校の低学年の頃、植草さんはクラスのみんなに「かずちゃん」と呼ばれていたので、ここでもそう呼ぶことにする。

 全校生徒数は約千人だったが、休み時間になると大半の生徒が校庭で遊んでいた。ごちゃごちゃと入り組んで、各々好き勝手に走り回っていた。
 三年生の時だったと思う。校庭で友達と鬼ごっこをしていた。前をよく見ないで走っていたためだと思うが、「ゴツン!」と頭を強くぶつけて倒れた。野球をしていた他のクラスの男の子と鉢合わせしたのだった。
 起きあがる間もなく、
「オマエのせいで、アウトになっただろう!」
と、すごい剣幕で怒鳴られ、ぶつけた頭の痛みもあって、気の強い女の子だった私もべそをかきそうになった。
 そこへ一緒に鬼ごっこをしていたかずちゃんが現れ、
「お前こそあやまれ!」
と助けてくれた。

 かずちゃんは、決して腕っ節が強いわけではなかった。やせていて、背も低い方だった。それでも、その怒り狂っている男の子を相手に、私を守るようにして、しばらくの間押し合いをしてくれた。
 力ずくのケンカではない、彼らしく正しい理屈を言っていた。どちらにも非があるのだから、この子だけを責めるのはおかしいと。

 授業開始のチャイムが鳴って、みんな遊びをやめて下駄箱へと走り、そのケンカもそれっきりになった。泣きそうになるのをこらえていた私は、泣き顔を見られたくなくて、そのままみんなに紛れて下駄箱へと走った。

 この時のお礼をかずちゃんに言いそびれたまま、今に至っている。こんなふうに私を守ってくれた男の子は、今までの人生の中でもかずちゃん一人だった。
 もしも再会することがあったら、遅ればせながらお礼が言いたい。
「かずちゃん、あの時は本当にありがとう」と。
by hirarin-601 | 2006-09-28 22:29 | 少年時代の植草さん

自己紹介

 植草一秀さんは、小学校の六年間同じクラスで過ごした同級生である。
 40人学級が4クラスあり、途中で一度クラス替えをしているので、6年間同じクラスだった人は、植草さんと私を含めて10人しかいないことになる。
 小学校卒業後、同じ公立中学に進んだ。そこでは一度も同じクラスになったことはないが、学校行事などでは常に目立つ存在の彼を、三年間見守ることになった。
 つまり、私は植草さんの少年時代の生き証人なのである。

 などとエラそうに書いてはみたが、社会的にはただの専業主婦である。植草さんとは、近年何の接点もない。植草さんがテレビに出ていた頃は、「こんにちはー!」と画面の植草さんに挨拶したり、「そうだ、そうだあ!」と相づちを打ったりして一人で悦に入っていた、そこらのオバサンにすぎない。そんな私が、ブログを書くようになったのにはわけがある。

 二年前の品川駅事件の時の、マスコミの偏向報道はひどかった。
 東大卒のエリートということから、頭脳明晰な「人格破綻者」と決めつけたのである。東大出身者(特に男性)に対する偏見以外のなにものでもない。「お勉強だけしてきて…」と、まるで健全な人格形成を何もしてこなかったかのようにテレビでコメントする嘘つきが後を絶たなかった。
 私は、植草さんの中身を何も知らないメディアの発言者が、逮捕という結果だけを見て、その人格否定とも言える暴言を繰り返すのには、つくづく怒りを覚えてきた。この人達が偉そうに、一体何を根拠にそこまで言うのだろうと。
 
 私は、人格形成期の植草さんを観察し得る立場にいた人間として、彼の本当の人柄を、世の中の人々に知って欲しいと思った。子供時代のエピソードをブログで語り、読者の方ご自身に、植草さんが実際はどんなお人なのかを判断してもらいたいと思う。
by hirarin-601 | 2006-09-28 06:53 | 少年時代の植草さん