一秀くんの同級生のブログ:事件
2015-09-13T23:56:30+09:00
hirarin-601
このブログは、平和と幸福を希求する人々が持つべき新しい視点を提供するためのものです
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2006年の事件について---その3
http://hirarin601.exblog.jp/21571350/
2015-09-13T23:56:27+09:00
2015-09-13T23:56:30+09:00
2015-08-22T14:47:20+09:00
hirarin-601
事件
当時、この事件に興味を持った人達が、植草さんを応援するブログや、2チャンネルをはじめとしたネットで、事件について大論争を繰り広げていた。
植草さんが無実だと思う人と、そう思わない人との激しい論戦で「植草一秀氏を応援するブログ」は連日の大炎上。
私などは、ただ植草さんの人柄への確固たる信頼感から、わけもわからず加わっていたのだが、今思うとかなりの数の専門家が入っていて、あのような大がかりな炎上となったのではないかと訝しんでいる。
経済や政治の裏側に詳しい人、法律関係の人、報道関係の人が、数多くネットの書き込みに関わっていた。
もちろん、皆身分を隠したままの意見交換なのだが、ど素人の私には驚くばかりの専門知識をさらりと言ってのける人ばかりだったのは、今考えても不思議だ。
その中で特に印象的だったのは、反対派の人が常に、
「目撃者探しをしたのか?」
という問いかけをしてきたことだった。
この人達は痴漢事件の特殊性をよくわかっている人達だったのだと、今にして思う。
まだご存知ない方は、「痴漢冤罪率」というキーワードでインターネット検索してみてほしい。
最近は良くなったとはいえ、まだ有罪率は99%と出るのではないだろうか。
当時は99.9%が有罪になると言われていた。
なぜそんなことになるかというと、電車内の痴漢事件では、警察は捜査を一切しないからだ。
被害者の申し立てを事実とし、容疑者の言い分を全く無視した聞き取りをして調書を作成し、裁判にかけるだけだからだ。
事件の4か月後に、周防正行監督の映画「それでもボクはやってない」が上映される。
周防監督は、何年も裁判の傍聴を続けて、痴漢冤罪事件を徹底調査して映画を作り上げた。
映画では、電車内での痴漢の容疑を問われた主人公のために、友人たちが駅で目撃者探しをする。
痴漢事件のための目撃者探しなど、警察は絶対にやらないのだと、当時の私は知らなかった。
けれども、警察関係者なら知っていただろうと思う。
更に、弁護側が証人を自分で探さなければならない理由も、後になってから気付いた。
植草さんの裁判では、二人の目撃者が裁判で証言した。
検察側と弁護側双方が、目撃者を立てたのである。
植草さんが「誰とも密着せず、眠った状態で吊革につかまっていた」ことを、自ら名乗り出て証言した目撃者がいたことは、残念ながらあまり知られていない。
不公平なことに、検察側証人は事前学習ができるのに対し、弁護側の証人は裁判官の心証を良くするための配慮から、ぶっつけ本番しか許されない。
検察側目撃者は証言する前に、何回か検察と証言内容の打ち合わせをしていたが、弁護側の目撃者は事前の打ち合わせは一切していない。
ということは、検察側目撃者がレクチャーを受けて、検察が描いたストーリーのとおりに証言することもあり得たわけだ。
更に考えると、もしも弁護側の目撃者が、弁護士でなく警察に名乗り出ていたらどうなっていただろう。
証人として採用されなかったかもしれないし、やんわりと脅されて口をつぐんだかも知れない。
だから、証人探しは被告人側が自らやらなければいけなかったのだ。
ついでに言うなら、検察側目撃者は、植草さんが事件当時に特徴のある眼鏡をかけていたことに気付いていなかったし、公判の時に体重が10キロ近く減っていたことにも気が付かなかった。
つまり、この証人が目撃した犯人が植草さんでなかった可能性を、誰もが考えてしまう。
更には、被害者の証言とは立ち位置が矛盾していた。
このような公判の進行状況から、私は判決に大いに期待をしていたのだが、残念な結果となってしまった。
今日で、あの事件からちょうど9年になると、ライン仲間の同級生に教えられた。
すっかり忘れていたが、植草さんは忘れようとしても忘れられないだろうなあと、申し訳ない気持ちで一杯になりこれを書く。
世の中の人が一人でも多く、真実を知って欲しいと心から願っている。(完)
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2006年の事件について---その2
http://hirarin601.exblog.jp/21520533/
2015-08-06T00:26:00+09:00
2015-08-22T15:34:28+09:00
2015-08-06T00:26:19+09:00
hirarin-601
事件
科学捜査研究所の分析結果は、「青色の繊維」というだけの大雑把なもので、傍聴記をネットに出してくれた見ず知らずの方は、「これで有罪にされたのではたまらない」と書いていた。
裁判で証言した研究員がたまたま女性だったことから、当時、ネットでも「科捜研の女」と話題になった。
私は沢口靖子主演の「科捜研の女」は、その頃好きなドラマだったが、実態とあまりにも違う科捜研に失望し、ドラマも見なくなった。
検察側の科捜研が、手に付着した繊維を被害者の服の繊維との関連性を特定できなかったのに対し、植草さんの弁護側では大学教授に依頼し鑑定をしてもらったところ、駅員の制服の繊維と同じ可能性が高いことがわかった。
それでも、その証拠を裁判所が却下してしまった。
日本では科学捜査の重要度はとても低いのだと思った。
犯罪捜査に科学的視点を最初に取り入れたのは、シャーロック・ホームズだという。
医師でもあったアーサー・コナン・ドイルが、推理小説シリーズ『シャーロック・ホームズ』を世に送り出したのは、120年程前。
ホームズは、現場に残された足跡や遺留物などを分析して推理を重ね、鮮やかに事件を解決。
その小説に影響を受けた捜査官によって初めて、科学捜査が行われるようになったという。
なんとそれまでは、警察の捜査は目撃証言や自白に頼るばかりだったので、多くの事件が未解決だったそうだ。
それでも欧米はまだいい。
少し前の時代劇でよく見た、お役人が犯人に拷問して自白を迫る場面。
刑事が机をバンバン叩いて容疑者に自白を迫る、ドラマのシーン。
それがテレビの中の話ではなく、自分の身に起こったとしたら?・・・。
植草さんも本質的に同じことを経験させられている。
日本の警察は、痴漢事件では特に、
客観的に証拠を検証することなく、
まずストーリーを作り上げてから、
そのストーリーに沿った自白を取ろうとする。
ストーリーに合わない証拠は、もしあっても開示しなくてよいことになっている。
それがこの事件を通して私が知った事実である。
(つづく)
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2006年の事件について---その1
http://hirarin601.exblog.jp/21518653/
2015-08-05T12:50:00+09:00
2015-08-06T12:36:43+09:00
2015-08-05T12:50:47+09:00
hirarin-601
事件
報道されていない事実があったことや、事実と違う報道がされていたことを知らない人がほとんどなのではないでしょうか。
2006年9月13日、当時植草さんが顧問をしていた会社の懇親会の帰りに、事件に巻き込まれた。
右手で電車のつり革につかまって、重いバッグを肩から下げて、左手で傘の柄を上からつかんで持ち、半分眠った状態で乗っていたところ、突然女性の声で目が覚め、一方的に痴漢の犯人と決め付けられた。
被害を訴えた女性と話もできないまま、その場にいた乗客によって、ほとんど力ずくで駅事務所に連れて行かれた。
ここからはいわゆる「痴漢冤罪のベルトコンベアー」に乗せられてしまう。
容疑は、「スカートの上から女性のお尻を触った」というものだったのだが、二日後に検察庁に行くまで、本人は何を疑われているのか知らされないまま、犯行を認めたという文書が警察でねつ造され、ウソが報道された。
駅で犯行を認めるも、後になって警察のでっち上げだと植草さんが言ったと報道されているが、事実無根である。
何の容疑かわからないのに、犯行を認めようがない。
警官が「でっち上げだって言うんだな」と言ったのに対し、植草さんが「そんなことは言っていない」と言い返したというやり取りがあったと、植草さんは後に書いている。
植草さんが「事件は警察のでっち上げだ」と言ったと当時報道されたが、それはウソ。
警察はウソをマスコミに流し、マスコミによってはウソに尾ひれをつけて報道した。
被害者の服に触れた証拠をとるため、指に付着した繊維を調べられたとき、植草さんは内心、これで容疑が晴れると思ったそうだ。
ところが、である。
科捜研って一体何やってんだろう?と笑っちゃうようなお粗末な結論。
(つづく)
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7月4日 第9回公判 傍聴記
http://hirarin601.exblog.jp/5846966/
2007-07-09T14:49:00+09:00
2015-07-20T05:23:36+09:00
2007-07-09T14:49:20+09:00
hirarin-601
事件
※「植草一秀氏を応援するブログ」より情報を得て、エントリーを書いておりますが、そちらで紹介されていました。
* * * * * * * * * * * * * * * *
第9回公判の証人(目撃者)は、とても良いタイミングで名乗り出てくださり、法廷というたいへんな場所に足を運び、立派に証言してくださいました。
ご本人はもっと早く名乗り出るべきとお考えのようでしたが、結果を見ると、検察側証人の証言が済んだこの時点がベストだったのだと思います。なぜなら検察は、被害者供述や裁判官の心証をはかりながら、目撃者・逮捕者の証言を調整してきたと考えられるからです。
検察に何回も足を運んだという「検察側目撃者」と、今回の「弁護側目撃者」とでは、事前レクチャーを受けたかどうかの違いが際立っています。見たままありのままを話していたのはどちらなのか?傍聴記を読めば、誰の目にもはっきりとわかります。(新聞だけ見ていてはわからないです。)
今回の「弁護側目撃者」が、警察に出頭しないでくれたのは本当に賢明でした。虚偽報道を提供し、調書を捏造する今までのやり方を見ている限り、被告人の無実を証言する目撃者を、警察が法廷で証言させたかどうかは疑問です。今回の目撃者は、きっとそのような警察の体質をご存知だったのだと思います。
弁護側証人となってくださった男性の、勇気と賢明さが末代まで讃えられますように。
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日本は本当に民主主義国家なのか?
http://hirarin601.exblog.jp/4619998/
2006-11-03T03:42:00+09:00
2015-07-19T18:31:21+09:00
2006-11-03T03:42:05+09:00
hirarin-601
事件
1.黙秘権があること。
2.今から被疑者が話すことは被疑者にとって不利な証拠として
裁判で扱われる可能性があること。
3.取り調べに際し、弁護士に立ち会ってもらう権利があること。
4.弁護士を雇うお金がなくても被疑者が望んだ場合には、
弁護士が任命されること。
が必ず告げられる。
これが、さんざん暴れ回り逃げ回った末であれ、どんな極悪人に対してであれ、逮捕の際には必ず行われる。
なぜなら、これが告げられなかったり、弁護士の立ち会いを求めたのにそれが無視されたまま取り調べが行われた場合は、憲法違反のため、その供述は証拠として採用できないからだ。
私は洋もののミステリーを好んで見ていたので、逮捕や取り調べの手続きは、日本でもそんなふうに行われているものと長い間錯覚していた。ところが実際には、この4項目のうち何一つ告げられないままの逮捕が、現代日本において公然と行われているのである。
一番の問題は、アメリカでは当たり前な「弁護士立ち会い権」が、日本の法律にはないことだ。
このことは、在日米軍人による強盗事件や婦女暴行事件が起こるたびに、理不尽な日米地位協定が改善されない理由として、繰り返し報道されてきた。
この報道を耳にしてきた限りでは、「弁護士立ち会い権」がどれほどの意味を持つものなのか、私にはぜんぜんわかっていなかった。
それが、二年前(2004年品川駅事件)に植草さんが逮捕されてから取り調べまでの詳細な記述を読んで、「弁護士立ち会い権」がないことによって、警官による供述書の捏造が合法的に許されているのが日本の実情だとわかった。(※註1)
これが本当に日本で行われていることなのかと目を疑った。
密室での取り調べ
取り調べはF巡査部長との1対1で個室で行われた。
F巡査部長は最初、「この件は非常に微罪だから、今すぐ容疑を認めれば、罰金を払ってすべて完了となる。その場合は一切マスコミ公表もしない。」と言った。
それに対し植草氏は、「何もしていない」とずっと言い続けた。しかし、「これは警察官による『現認』だから、裁判をしても100%勝ち目はない」と繰り返し言われ、否認した場合は「必ず長期の勾留になって、マスコミ公表がされる。もし簡単に済ませたいならば、今すぐ容疑を認めたほうがいい」と説得された。
弁護士を呼ぶという知識のなかった植草氏は、仕方なく「取り引き」に応じた。F巡査部長とは、「のぞこうとしたけれども、のぞいていない」という形で容疑を認めることに同意したが、実際に検察に行ってみると、「鏡を使ってのぞいた」と調書が書き換えられていた(捏造)。F巡査部長は、最初から植草氏を騙すつもりで「取り引き」を持ちかけたのだ。
F巡査部長は、98年の事件についても、調書を捏造している。
警察による恐喝、詐欺、調書の捏造、誤報垂れ流し
植草さんの場合、取り調べをしたF巡査部長は、有名人である植草氏に対し、マスコミに話すと脅し(恐喝)、罪を認めればすぐに帰れると「取り引き」を持ちかけ、結果、検察に送る送致書を書き換えて(捏造)、植草さんを騙した(詐欺)。更に警察は、植草さんが騙されたことに気が付いて、「取り引き」上一旦認めた容疑を否認しても(4月11日)、マスコミには「容疑を認めた」との誤報を流した(4月12日)。この誤報による植草氏の被害ははかりしれない。
これは警察が行った(マスコミも片棒を担いだ)、立派な犯罪だと思う。
(このブログを読んでいる皆さんは既にご存知だろうが、私は何度でもこの許し難い不正を書くつもりだ。)
この報道を受けて、当時の世間の人の多くは、マスコミ発表されたために、植草氏が否認に転じたと思っていた。しかし、真相は逆で、植草氏が否認したから、警察がマスコミに(容疑を認めたとの)虚偽の発表をしたのだ。
ところで、F巡査部長の言った「現認逮捕」とは後から出てきた言葉で、最初に品川駅でS警官に呼び止められた時には、ただの「職務質問」だった。つまり「現行犯逮捕の事実が告げられていない」のだ。S警官によって逮捕状が捏造されたことは裁判で明らかになったにもかかわらず、O裁判長は『それは単に事務的に作ったのでしょう』と警官を擁護する発言をした。
逮捕状を捏造したのが、違法でないとは!
裁判所は、もはや公正さを判断する仲裁者として機能していない。
長すぎる勾留
二年前の事件では植草さんは33日間勾留され、随分長いと感じたが、今回は50日経った今も勾留され続けている。
そこでされていることというのは何か?
毎日毎日、朝から晩まで、一人だけで取り調べを受けて、自白を迫られているのではないか?
まさか映画のように顔に電気を当てられたり、虚偽の自白を促すようなクスリを飲まされてはいないだろうが、毎日同じ事を聞かれるだけでも精神的な苦痛は大きいと思う。
法律の不備を、今までは警察官の良心が補ってきたのかもしれない。
しかし、この事件に見られるように、警察官にも裁判所にももはや良心がないなら、私達は公権力から身を守るために、何かをしなければならないのではないか。
「弁護士立ち会い権」はアメリカでも、最初からあったわけではなく、40年前に市民が闘って勝ち取ったものだという。
この権利を勝ち取ることは、民主主義国家の条件として、絶対に必要だと思う。
※註1 ジャパンポンチ(1)参照。(2005年6月発行)
インターネットの本屋さんから購入できます。
※追記 『知られざる真実 -勾留地にて-』 228ページより、2004年事件の詳細が書かれています。
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理解されない優しさ
http://hirarin601.exblog.jp/4567027/
2006-10-25T03:21:00+09:00
2015-07-19T18:38:31+09:00
2006-10-25T03:21:01+09:00
hirarin-601
事件
事実はむしろ逆なのではないかと考えている。
ことの発端は、8年前の電車内でのこと。ボックス席の向かいに座っていた女性が、通りかかった車掌に植草さんのことを『この人ちょっと感じが悪いんですが』と言ったという。
植草さんは、当時太もものところに湿疹があり、何度か掻いたということ、荷物をひざの上において手で押さえていたが、電車が揺れたときに、小指が女性のひざに一瞬ふれたということは自覚している。
それがなんと自慰行為をし、女性に触ったということにされてしまった。
なぜか?
それは、最初の車掌への説明で、
「もし不快な思いをさせてしまったなら申し訳ない」と謝ったことに尽きると思う。
植草さんの謙虚さや優しさが、この車掌や訴えた女性にわからなかったために起こった不幸な出来事だ。普通、疑われるようなことをやってないなら、「ふざけるな。そんなことを考える方がどうかしてるよ!」ぐらいは言うのではないか。自分が考えてもいない容疑をかけられたら、普通の人ならみんな怒り出すのではないか。けれども、植草さんはとても穏やかな人で、決して乱暴な物言いをする人ではなかった。「話せばわかる」と、人を信じる人だった。
残念なことに、普段から本物の痴漢と接している車掌には、植草さんの高潔さが理解できずに、深い思いやりから出た謝罪を、罪を犯した人の謝罪と勘違いしてしまった。
その後駅の鉄道警察で、状況をいくら説明しても頭から信じてもらえず、夜の11時まで4時間も押し問答を続けた挙げ句、『もう時間切れだから認めなければ逮捕だ』と大声を上げて脅され、『触ったと認めて、上申書をここで書けば帰してやる』というのでしかたなく相手の言うとおりにしたと、植草さんは後日、「ライブドアPJニュース」の取材で語っている。
その時は弁護士に相談するという考えが及ばず、そのまま誰にも言えずにいたら、後で検事に呼び出されたので再度事情を説明したが、上申書を既に書いていることを鋭く責められ、どうにもならないので罰金を払ったという。
植草さんは当時よくテレビに出ていたので、マスコミに知られることを極度に恐れ、それを免れるために安易な妥協をしてしまったが、本当は筋を通すべきだったと悔やんでいる。
なぜならこのことが、二年前の事件の裁判で検察側に利用され、植草さんには非常に不利に作用したからだ。
セクハラは、被害者が「被害を受けた」と感じたら、セクハラの事実があったということになるそうだ。
差別語も、言った人に他意がなくとも、言われた人が「差別された」と感じたら、やはり謝罪するべきだとする意見が多くなってきた。
植草さんは、そういうデリカシーを人一倍持ち合わせている人なのだ。
「自分には全く身に覚えがないが、相手に不快感を与えたなら謝る」という言葉は、彼の思いやり深い謙虚な人柄を良く表している。それを「気の弱さ」としか取れない世間の方がどうかしていると、私は思う。
二年前の事件では、手鏡でのぞいてもいないのに、どうして「被害者」とされる女性に示談金を払ったのか、やってないなら謝る必要がないだろうと、多くの人から誤解を受けた。(※脚註参照)
これも、彼の優しさがアダになったと思う。
今回、「人違いでしょう」と言ったのにも、被害に遭ったとされる女子高生に対する思いやりが感じられる。
植草さんの「やっていない」という主張が本当なら、女子高生が嘘をついていることになる。嘘をついてまで人を陥れようとする悪意を、彼は認めたくなかったのだと思う。だから、人違いか勘違いという「逃げ場」を、植草さんが女子高生に残してあげたのではないかと思えてしまう。
この「人違い発言」が、やはり不利に働くと言う人もいるので、どうかもう人のことは思いやらなくていいから自分のことだけ考えてと彼に言いたい。
「人を信用しやすい自分の性格が災いしました」と去年植草さんは語った。私は更に「彼の優しさが世間に理解されないことが災いしている」と思う。
謙虚さの美徳を讃えることも最近ではめずらしくなった。植草さんが理解されないことは、日本人が本来持っている美徳を失っていることに思えてならない。
※註 2004年の事件の際の示談について
『AAA植草一秀氏を応援するブログAAA』で
詳細説明がありましたので、
こちらにも転記させていただきます。
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植草氏は、2004年の事件の際、被害者と言われる女性と示談が成立していますが、
それはその女性に、『完全に容疑を否認しているという事を伝えた上での示談成立』です。
そして、その女性の方から『裁判にしないで欲しい』という希望が検察に出されたとの事。
1. 植草氏は容疑を完全否認していることは女性側にはっきりと
伝えており、その上で成立したものであるということ。
2. そしてその了解後『裁判にしないで欲しい』という言葉も
女性側から届けられたものであるという事。
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この点が、私の投稿でも抜けていたため、お読みになった方に誤解を与えることになったかもしれないと思い、補足説明とさせていただきます。]]>
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