一秀くんの同級生のブログ

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 今年の漢字は「命」に決まったそうだ。
 確かにお目出度いことはあったけれども、今年ほど人の命が軽んじられた年はなかったように思う。自殺者は年々増えているというが、いじめを苦に自殺した子供達の数の多さには胸が痛む。自殺したたくさんの子供達が、身をもって「世の中がおかしいよ」と教えてくれているような気がするのは私だけか。
 腹立たしいのは、遺書を残して自ら命を絶った子供の訴えが、一部の大人によって握りつぶされようとしたことだ。命がけの訴えが長期間放置されて、ご遺族はどんなに悔しい思いをされたことかと思う。それほど、世の中の人は子供に対する思いやりがなく、他人の悲しみに鈍感になっているのだと淋しくなる。
 
 第一回公判があった今月6日の、植草さんの自殺未遂報道の軽々しさにもやるせなさを感じた。いったいご家族は、どんな気持ちでこの報道を耳にされたことだろう。私にとっても他人事ではない。公判で読み上げられた、植草さんご自身の意見陳述書が公表され、その中に自殺を決行したという記述がありショックを受けた。自殺に追い込まれる心理とはどんな状態なのだろう。明るく積極的な人である彼ほど「自殺」から遠い人はいないと思っていた。

 植草さんは御自分の心の動きをこう語る。
『このままでは私が犯人にされてしまう。そうなればマス・メディアは無責任で一方的な情報を土石流のように氾濫させ、家族が想像を絶する報道被害に直面する。あげくの果てに有罪にされてしまうかもしれない。家族の報道被害を最小に食い止めて家族を守るには、いま私が命を絶ち、すべてを遮断するしかない。』
        ───『12月6日第一回公判での植草一秀氏意見陳述書』より───

 植草さんは二年前にもひどい報道被害を経験している。最初から無実を訴えているのに「罪を認めた」と誤報を流し続けるマスコミ。事件と関係のない私生活が晒され、あたかもそれが証拠になるがごとく歪曲されて報道される。ご家族もたいへんな思いをされたに違いない。愛する家族を悪意に満ちたマスコミや世間から守るために、御自分の命を断って抗議するしかないと思ったのだろう。

 植草さんのような状況では、間違いなく犯人にされ、必ずと言っていいほど高い確率で有罪になる。本当にやっていなくても、男性側の無実の訴えは決して認められず、被害女性の証言だけで有罪を宣告される。これは誇張でも何でもない。今、日本で行われている痴漢冤罪裁判の真実・実話なのである。

『ぼくは痴漢じゃない!』の中で解説を書いている升味弁護士は、いみじくも「有罪行きベルトコンベア」と名付けた。ここから、少し引用する。

−−−(以下引用)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
恐怖の「有罪行きベルトコンベア」構造
 多くの人が知っている「無罪の推定」の原則があります。だから本当なら逮捕されても、法律上は無罪の推定を受けるはずです。
 しかし現実は、逮捕の時点で「有罪行きベルトコンベア」にぽっと乗せられてしまって、あとは流れ作業みたいなものです。元検察官の弁護士が、日本の刑事事件は、一番初めに事件を担当する巡査部長が処分を決めていると言っていました。こいつが犯人だと考えた巡査部長が逮捕状を請求し、その逮捕状の請求に理由や必要があるかどうかをチェックするはずの裁判官がノーということは皆無です。事件が検察官の手にわたっても、そこで事件が被疑者の側から点検されることはなく、起訴に至れば、裁判官の審理を受けても100に一つも無罪にならず、相場の刑を言い渡されるからです。
 しかも、現行犯逮捕のときはその逮捕に至るまでの間、チェック機能を果たすものがまったくありません。その場の判断のみで、いきなり逮捕されてしまいます。さらには私人による現行犯逮捕もあります。こうなると、日本の刑事司法の現状とあいまって、私人である、被害を受けたという女性の確信だけで、「有罪行きベルトコンベア」は動きだしてしまう。これらはいわゆる「痴漢冤罪」が明らかにした、日本の刑事司法のとても恐い点と言えるでしょう。
−−−(引用終わり)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 植草さんの意見陳述には、次のような記述もある。
『検察官は、「否認を続ければ、裁判で私生活を攻撃して家族を徹底的に苦しめてやる」と学校等でのいじめを意図的に誘発するとも受け取れる発言を繰り返し、また警察官は、「否認して裁判になれば必ずマスコミのえじきになる」、「否認すれば長期の勾留となり小菅に移送される」と繰り返し述べ、罪を認めることを迫り続けました。』
      ───『12月6日第一回公判での植草一秀氏意見陳述書』より───

 これも決して誇張ではない。
 『痴漢「冤罪裁判」』の事例の中には、「警察のイヤガラセ」としか思えないことをされた人の体験談が出ている。被疑者の娘の家庭教師の自宅にまで、被疑者の人となりについて、刑事が聞き込みに行ったという。恐らく警察沙汰になるような事件を起こしたという話をされた両親に言われて、その家庭教師はやめることになったそうだ。また、この被疑者の通っているテニスクラブにも、刑事が聞き込みに来て以来、仲間の視線が冷たくなり、別の時間帯に通わざるを得なくなったそうだ。
 「聞き込み」と称して、刑事が家族の関係者にデマを吹き込みに行くという卑劣なことが、実際に行われているのだ。
 
 「否認すれば長期の勾留になる」と脅され、自白を迫られるというのは、冤罪と闘った人達の書いた本の中ではどのケースでもお馴染みの場面であり、きっと警察のマニュアルにもそのように書いてあるのだと思わせるものがある。
 ひどいことが、当たり前のように行われているのである。

 痴漢の被疑者から依頼を受けた弁護士は、依頼人が罪を認めてくれるとほっと胸をなで下ろし、否認すると重たい気持ちになるのだそうだ。なぜなら、罪を認めてしまえば初犯なら罰金を払うだけで簡単に済み、否認すると裁判で膨大なお金と時間を犠牲にして闘ってもほとんど無罪は勝ち取れないからだ。弁護士としては、たとえやっていなくても、そんな犠牲を払ってまで無罪を主張すべきだとも言えないそうだ。

 それでも、被疑者が無罪を主張するのは、プライドゆえである。自分の尊厳を守らなければいけないと言う信念があるからだ。植草さんは二年前にも、やってもいないことで屈辱的な濡れ衣を着せられて、プライドは大いに傷ついていたのだろうとお察しする。
 痴漢をするような人間が、家族への愛のために死のうとするものか!
 このことのみでも、植草さんの無罪が立証されたようなものだと、私は思う。

 植草さんは、無実を主張して抗議の自殺をしようとした。
 担当の検事さんと、被害を訴えている女性に一言問いたい。
 「あなた方は、それぞれ御自分の主張に命が懸けられますか?」



※12月6日第一回公判での植草一秀氏意見陳述書




参考図書
 『痴漢「冤罪裁判」 ──男にバンザイ通勤させる気か!』 池上正樹著 小学館文庫
 『STOP 痴漢えん罪 ──13人の無実の叫び』
              痴漢えん罪被害者ネットワーク編 現代人文社
 『ぼくは痴漢じゃない!』 鈴木健夫著 新潮文庫
 『お父さんはやってない』 矢田部孝司+あつ子著 太田出版
by hirarin-601 | 2006-12-18 05:20 | 痴漢冤罪

キリスト者になった冤罪被害者

 「ぼくは痴漢じゃない!」(鈴木健夫著・新潮文庫)という本を読んだ。
 電車の中で痴漢と間違われ、一貫して無実を主張するも、裁判では一審で有罪、控訴してやっと無罪を勝ち取るサラリーマンの手記だ。
 一審では、矛盾や変遷の多い被害者一人の証言が認められ、「恥ずかしさを押して痴漢の被害を申し出た女性」の証言は十分信用できるという理由だけで有罪になってしまった。

 『刑事訴訟の原則から言えば、有罪を立証しなければならないのは検察官ですが、実際はそうではありません。こんなことはありえない、こんなに変だと言って、検察官の主張を完全に壁際まで追いつめてようやく無罪になるかどうかというのが今の刑事司法の現実、弁護士の実感なのです。』(「第二部 升味弁護士による解説」より)

 たったの5万円の罰金で出られるのに、会社を辞めさせられ、弁護費用も払って大損しながら、人生をかけて無罪を主張していることの重みを考えて欲しいと、弁護士さんは控訴審で訴えたそうだ。
 1年9ヶ月の長い闘いの後、やっと無罪を勝ち取るが、鈴木さんの人生は大きく変わってしまった。会社は事実上解雇され、鈴木さん自身も心に大きな痛手を負い、仕事を次々に辞めざるを得なくなった。もう決して大手企業の営業職に就くことはなく、失った人生は決して取り戻せなかった。
 鈴木さんの恨みは深い。
 痴漢被害を訴えた女性、取り調べた警察官、検事、裁判官の一人一人、そして切り捨てた会社を呪っている。
 無実の叫びを無視され、普通の平和な暮らしをしていた人が、いきなり非人間的な扱いをされる。「推定無罪」の原則が通らない、異次元世界に放り出されたショックはどんなだったろう。ご家族もどんなに苦しんだことだろう。

 鈴木さんの不幸は、法律が作り出したものだ。
 この本の中で升味弁護士は、本人と家族の受けた無形の傷のすべてを実質的に回復するのは無理だが、せめて被疑者と家族の蒙った経済的不利益だけでもフォローする制度が確立されなければならないと書いている。
 無罪になった鈴木さんが国から受け取ったのは、たったの75万円。それでは弁護人への報酬の半分でしかない。一方、鈴木さんが失ったものは、逮捕されてから無罪判決が出るまでの二年にわたる時間と安定していた職。定年後にもらえるはずだった年金と実際にもらえる年金の差額は2千万以上だという。

 社会制度全般に対し、やり場のない憎しみと悲しみに打ちひしがれ、それまでの生き方すべてを変えなくては生存できなくなったのだと思う。
 鈴木さんはキリスト教を勉強するようになったそうだ。
 昔で言えば、世をはかなんで出家するようなものだと思う。
 それほど、社会や人間への不信感は根強く、普通のやり方では人生をやり直すことができなかったのだと思う。
 鈴木さんは最終的に無罪を勝ち取ったけれども、社会的には救済されていないし、精神的に受けたダメージも、制度は何も補償してくれない。
 鈴木さんのご家族も、さぞ困難な人生を強いられたことだろうし、それまでの生き方を大きく変えられなければならなかったことだろう。
 何の罪もないのに。
by hirarin-601 | 2006-12-06 09:57 | 痴漢冤罪