一秀くんの同級生のブログ

hirarin601.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

<   2007年 02月 ( 2 )   > この月の画像一覧

映画『それでもボクはやってない』を見て

 痴漢冤罪裁判を淡々と綴った映画である。
 一般人が考えている裁判と、現実との違いをこの映画が伝えてくれることによって、冤罪被害者はものすごく救われると思う。少なくとも「無実の人が有罪判決を受けるはずがない」という一般人の思い込みが、大きな間違いだとわかるだけでも、どれだけ救われるかわからない。
 周防監督、この映画を作ってくれて、本当にありがとう!
 全国の冤罪被害者があなたに感謝していると思います。

 不条理、リアリティーといった、およそ日本人受けのしない題材だが、キャスティングでもわかるとおり、ところどころコミカルなシーンもある。痴漢冤罪に問われた主人公の苦悩を、優しく見つめるような視点で描く。映画全体に流れる優しさに救われるが、主人公の現実は絶望のまま終わる。
 普通の生活者が突然社会から排斥され、人間としての尊厳を著しく傷つけられる。これは誰にでも起こり得る不幸である。そしてそれは、罪を犯した自覚のある人になら受け入れられるものだろうし、反省することによって新たな人生を切り開いて行くこともできるだろう。
 しかし、罪を犯していない人には反省などできるわけもなく、社会不信、人間不信に陥るだけではないだろうか。主人公・徹平のように、自分を裁いた裁判官を心の中で裁くという、確固とした自分というものがなければ、冤罪被害者は自己破壊してしまうのではないだろうか。
 それでもこの映画は、誰かを「悪」と決めつけたり、糾弾するのではなく、むしろ一人一人は職務に忠実な人々が、全体として間違いを犯し、罪のない人を徹底的に痛めつけてしまう現行のシステムを、あくまでもありのままに描いているのである。多分一人一人は悪人ではなく、その自覚も無い人達が、マニュアルどおりの仕事をすることによって、結果として悪魔の仕業をしてのけるところに、背筋の凍るような恐ろしさを感じるのである。

 痴漢被害に遭う少女の悲しみや怯え苦しむ様子も、きちんと描かれている。被害者の少女は、精神的に大きな犠牲を払いながらも勇気を持って法廷で証言する。にもかかわらず、真犯人の検挙にはつながらず、無実の人を罪に陥れることに手を貸してしまうことになるのが、二重にかわいそうである。自分が被害を受けたからといって、犯人でない人を罰するのはこの少女の本意ではなかったろう。
 痴漢の被害者が間違った犯人を捕まえた場合、今の警察には真犯人を割り出すことができないどころか、現行犯逮捕された人が真犯人かどうかを疑う機能さえ備わっていないのだ。

 有罪か無罪かが未決の人に対して、人権蹂躙に近い行為が普通に行われている事実も、映画は伝えてくれる。
 特にひどいものを挙げると
1.検察庁地下同行室では、身動きもままならない、トイレのプライバシーもない狭い部屋で一日中黙ってすわっていなければならない。
2.被告人が勾留中に行われる裁判では、腰縄と手錠をかけられた姿で傍聴人の前に引き出される屈辱を味わわされる。

 これが日本の法律なのかと驚いたのは、徹平の友人と上京してきた母親が、逮捕から4日目になってようやく、徹平が留置場に居ることを知ることだ。被疑者が頼まなければ、身内に知らせることもない。これでは拉致・監禁と同じではないか。
 
 また、痴漢の現行犯だというのに家宅捜索をして、個人のプライバシーを暴くのも警察の常套手段のようだ。映画では、家宅捜索で押収されたアダルトもののDVDや雑誌について、検察官が被告人にネチネチと質問するおきまりのシーンが描かれている。
 一方で、主人公の担当になった若い女性弁護士に、この押収物について主人公を非難するセリフも言わせている。男性の生態を身近に観察する経験のない女性にはわからないのだろうし、実際には既婚女性であっても、夫がアダルトサイトに接続したのを知ってショックを受けるといったナイーブな御仁がいることは確かだ。
 成人男性がアダルトDVDなどを持っている、または鑑賞したことがあるというのは、男性なら皆暗黙のうちに了解していることなのに、男性である検察官が、法廷で被告人のプライバシーを晒して辱める行為は悪辣だし欺瞞に満ちていると思う。またそれを、さも異常なことのように報道するマスコミ男性諸氏に、「恥ずかしくないですか?」と聞いてみたい。

 裁判のシーンに重点を置いた為、主人公をしがらみのない独身フリーターという設定にしたが、妻子持ちの中年男性にするかどうかで、監督は最後まで悩んだそうだ。
 妻子持ちの中年男性が主人公だったら、物語は複雑な人間ドラマとして描かれたのだろう。妻の心の葛藤、子供の心のケア、退職を迫る会社との闘いなど、実際に冤罪被害者が直面してきている問題も深刻で奥が深い。これをテーマに是非とも続編を作って欲しい。
 冤罪被害者は社会的にもひどく傷つけられ、居場所を奪われて、家族共々その後の人生を変えられてしまうのだ。そういう状況で辛い思いをしている方々が、この日本にたくさんいるのである。


 周防監督が数年かけて調べ上げた裁判の現実がセリフに込められているので、書いてみる。

「痴漢冤罪事件にはね、日本の刑事裁判の問題点がはっきりと現れてるんだ」
「調書は、取調官の作文です」
「否認しているといつまでも勾留して自白を迫る。こういうのを人質司法っていうんです」
「裁判官が無罪に臆病なのは、今に始まったことじゃないんだ」
「起訴したからには、絶対に有罪を取る。それが検察官の仕事だ」
「弁護側の反証・・・理屈の上では、検察側立証の弱点を指摘するだけでいいんだけど、現実の裁判はそう甘くない。こちらから積極的に無罪を立証できないと負ける」
「無罪を出すというのは、警察と検察を否定することです。つまり、国家にたてつくことですよ。・・・無罪判決を書くには、大変な勇気と能力がいるんです」
「怖いのは、99.9パーセントの有罪率が、裁判の結果ではなく、前提になってしまうことなんです」
「無実であるなら裁判で明らかになる、裁判官は分かってくれる、そんな風に考えてたら、とんでもないことになる」
「僕は初めて理解した。裁判は真実を明らかにする場所ではない」

 また、「無罪病」と揶揄され、職場では能力が低いとされてしまっているひとりの裁判官に、重要なセリフを言わせている。
「刑事裁判の最大の使命は、無実の人を罰してはならない、ということです」


 ラストには心にズシっと響く言葉が連続して出てくるが、それは書かないでおこう。
 まだの方は、是非映画館に足を運んでいただきたい。


 なお、冤罪に詳いジャーナリストの江川紹子さんは、プロらしい視点でこの映画についてお書きになっている。
江川紹子ジャーナル/社会のこといろいろ/冤罪の映画を見る(上)
by hirarin-601 | 2007-02-22 15:56 | 痴漢冤罪

『植草事件の真実』ナビ出版

この本は、植草氏を支援する方が出版されたものである。
本の作成者の方から人づてに、私も声をかけていただいた。
植草氏が公認する唯一の応援サイトである「AAA植草一秀氏を応援するブログAAA」からも、二年前の事件の貴重な資料が提供されると聞き、インターネットを見ない方々にも是非知ってもらいたい、現場の写真を見れば冤罪だというのは一目瞭然だと喜んだ。
それで、私のブログからも記事を提供させていただいた。(本書『第三部』)
この本の出版の音頭を取ってくださった方の、熱意と行動力には心から敬意を表する。

届いた本を読んでみて、全体的に自分が想い描いていた内容とは少し違うと思った。
植草氏のお人柄に関しては、私とは全く違う理解をし、そして応援している人がいることを知った。

この本は、植草氏が東京拘置所を出られた時にはもう形になっていたそうで、出版くらいは知らされていたかもしれないが、内容について植草氏は関知していないということだけは強調しておきたい。
なぜなら、植草氏なら絶対に言及しないようなこと(被害者や関係先に対する憶測)が繰り返し述べられているからである。

事件の背景として、植草氏による政治批判が詳説されている。植草氏と政治権力者との間に軋轢があったのは事実だが、それを「事件の黒幕」と関連づける考えが一般に受け入れられるのかどうか、私にはわからない。

むしろ、二年前の事件についての逮捕、取り調べの違法性、警官のしどろもどろ証言の肩を持つ裁判官のインチキ判決、そしてマスコミの偏向報道のみに焦点を当てた方が、受け入れられるのではないかと思った。
「憶測」の部分が、これらの「事実」を薄めてしまうのではないかと心配している。

自分の文章が活字になったのがうれしくて、父に贈ったところ、小泉・竹中政治の「売国政策」を初めて知り、ただただ目を丸くして驚いていた。
この本も一定の役割を果たすのではないかという希望が持てた。
by hirarin-601 | 2007-02-06 04:55 | 支援者