一秀くんの同級生のブログ

hirarin601.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

植草さんの精神力

植草さんのブログを固唾を飲んで見守っている人がたくさんいることだろう。
私もそのうちの一人だ。
土曜日の昼のニュースで最高裁判決を知ってからも、既に5回もブログが更新され、ブログランキングで1位になった。
何度も『知られざる真実』にアクセスしては、複数回目は無駄と知りつつブログランキングに投票して1位をキープしているのを見て一息つく。
そんなことを繰り返しているのが自分だけではないと思えるのは、植草さんのブログが開くのがいつもより遅いからだ。

昨日から『「小泉王国」横須賀市で反撃の狼煙が上がった』がトップ記事のままなのだが・・・。
この記事の最後の部分は、まるで政権交代を願う人々へのメッセージのようであり、当面の重要項目を書き置いているようにもとれる。

考えてみれば凄い精神力だ。
自身に危機が迫っているのに、今までと変わらずというより、それ以上に精力的にブログを更新している。
自由を奪われる直前まで、国民のために執筆活動を続けているのである。
植草さんが平常心でいることの表れであり、崇高な精神が忍ばれる。

植草さんは殺されたりしない。
支援者が監視している。
見た目は穏やかでも、内面は非常に強く、絶対に脅しに屈しなかった。
植草さんの背後には「天の時、地の利、人の和」がついている。
人々の希望と願いがパワーとなって植草さんを守る。
誰も、植草さんに手をかけることなどできない。

あ、今、植草さんのブログが更新された。
・・・本当に、涙が出てしまう。
# by hirarin-601 | 2009-06-30 13:40 | 植草さんの主張

裁判官にバツをつけよう!

植草さんのブログが更新されるとほっとする。
当ブログもお読みいただいたことがわかり、たいへんうれしく思った。
実刑確定は何かの間違いであってほしいと、心の底で思っている。

植草一秀さんが無実であると、今では多くの人達が知っている。
だから、試されているのは最高裁の方だった。

裁判所は本当に公正なのか?
三審制は形だけの茶番ではないのか?
最高裁判事は、政府に都合の良い判決を出しているのではないのか?
検察寄りの判決ばかり出す裁判所に、はたして存在意義があるのか?

そういう疑問を抱きながら、私たちは最高裁の判断を待っていたのだ。
結論として、裁判所は公正ではなく、三審制は形だけの茶番であり、最高裁判事は政府の意のままに判決を出し、裁判所の存在意義はないのではないかという疑いが更に濃厚になった。

裁判官は有罪判決を出す人ほど出世するらしい。
元社会保険庁長官が最高裁判事に天下りした例もある。
そういう現状に対して私たちができることは、衆議院選挙の時に、最高裁判事の国民審査で×印をつけることだけだ。
だから、権利を行使しよう。

私はこの考えを以前から持っていたのだが、今回の植草さんの不当判決を受けて、ブログ記事で多くの方々が同じような考えを表明されているのを頼もしく思った。

私の考えでは、植草さんの民事裁判と刑事裁判の両方で不当判決を下した近藤崇晴裁判官は当然バツだとして、その他の裁判官がどういう人なのかを知らず、良い判決を出す人だという確信がない場合でも、やはりバツをつけるべきである。

なぜなら、バツをつけなかった場合は了承したことに自動的になっているからだ。
私たちは、最高裁で誰がどんな判決を出しているのか普段から関心を持って見ているわけではないし、関心のあった件でも、直接関わりがなければ、選挙の時には忘れてしまうことが多い。
そういうところを利用して、形だけ民意を得た裁判官がやっていることにしている現行制度はずるいやり方だと思う。国民の過半数がバツをつければ罷免されるのだそうだが、今まで国民審査で罷免された裁判官はいないのだそうだ。
少なくとも、なんの説明もなく、ただ判断しろと言うのでは、不親切を通り越して、国民を欺くための制度だと思われてもしかたがない。
国には、選挙民に情報を提供する義務があるのではないだろうか。
みんなが自動的にバツをつけるようになれば、政見放送のように、各裁判官の実績を教えてくれるようになるかもしれない。
ともかく現行制度には不満だという意思表示として、原則すべての裁判官に×印をつけることをお薦めする。
# by hirarin-601 | 2009-06-29 02:49 | 警察・検察・司法

日本はひどい国だ!

植草さんの上告が最高裁で棄却され、実刑4ヶ月が確定したそうだ。
言論弾圧が公然と行われていることに、国民はもっと怒らなければならない!
衆院選を目前にして、与党政権の手の内を次々とブログで予言する植草氏をどうしても黙らせたかったのだ。
小沢氏秘書の逮捕と同じ構図だ。
日本政府のやっていることは、ミャンマーの軍事政権と同じ、罪をでっちあげて政敵を黙らせることだ。

権力におもねる者たちよ、恥を知れ!
今植草さんを黙らせても、私たちは黙ってはいない。
自民党別働隊にもだまされない。
今自公政権に荷担する人たちは、明治維新を阻止するために暗躍した新撰組と同じ、大局が見えずに己の欲得につられて踊らされる悲しいピエロだ。

植草さんのブログを読んで目覚めた人たちが、草の根運動で「悪徳ペンタゴン」の所業を周りの人々に伝えてほしい。
民衆が気づくことを彼らは一番恐れているのだそうだ。
植草さんだけに戦わせていてはいけない。
私たちにできることは、植草さんのブログや著作に書いてあることを、一人でも多くの人に伝えることだ。
# by hirarin-601 | 2009-06-27 13:07 | 植草さんの主張

ふと感じたこと

「ふと感じたこと」

政治家が堂々と「愛」を説く時代になった。
それだけ日本人が成熟してきた証ならば喜ばしいことだ。

根底に「愛」のある言動のみが人の心を打ち、遠くまで届き、最後まで残るのだと最近気付いた。
発する言葉の中に「愛」があるのかないのか、それがその言葉の価値を決めることになると思う。
愛のない言葉は無意味だと思う。
自分の言動に気を付けようと思った。
# by hirarin-601 | 2009-05-31 00:40 | 管理人のつぶやき

迎春

新年あけましておめでとうございます。
ほとんど更新をしなくなりましたが、今年も細々とブログを続けて参ります。
カテゴリ分類して、「少年時代の植草さん」についての記事を、興味のある方が参照しやすいようにしました。
今年もよろしくお願いいたします。
# by hirarin-601 | 2009-01-01 22:55 | 管理人のつぶやき

警告!

当ブログをおとしめるための下品な、悪意のある書き込みをなさいませんように。
今後そのような書き込みをしたと管理人がみなした場合、IPアドレスをさらします。
# by hirarin-601 | 2008-08-11 17:46 | 管理人のつぶやき

女ぐっちー登場!

有名らしきブロガーの方が、堂々とウソを書いているのが信じられない。
植草一秀の『知られざる真実』
「貞子ちゃんの連れ連れ日記へのコメント」藤井まり子氏への反論
「貞子ちゃんの連れ連れ日記へのコメント」(2)(追記を含む)
が掲載された。
それで初めて藤井まり子氏のブログを読んだ。

藤井氏が『神州の泉』氏のブログにTBをしたのが、ことの発端らしい。
その辺の経緯は神州氏のブログ『貞子ちゃんの連れ連れ日記』は小泉・竹中路線の出先ブログか!?に詳しい。(*注)
神州氏の唱える「謀略論・謀殺論」を植草氏の主張のように印象づけるのがアンチのよくやる手法であったことを考えれば、藤井氏も周到な計画を立てたのかもしれない。
藤井まり子氏は、人の理論をけなすようなことを書いておいて、植草氏に具体的に間違いを指摘されると「『…でしょう』と書いたのに断定したかのように言うのはおかしい」と開き直る。
「間違っているかも知れないから『でしょう』を付けた」で許されるのだろうか。
そもそも「間違っているかも知れない」のに、他人の理論をコケにして良いのだろうか。
こういうのを詭弁とか幼稚な言い訳というのでは?
植草さんに「奥田氏との関係」の間違いを指摘されると「●田氏が間違っていたなら●崎氏かな?」などという醜い言い逃れをしている。
よく調べもせず、少なくとも数時間は虚偽を掲載していたことに対する反省はないのだろうか?
植草さんが「ぐっちーさんの二匹目のどじょうをねらった」というのは、とんでもない言いがかりで、植草さんを利用してアクセス数を伸ばし、自分の「つたない福祉政策(本人曰く)」の宣伝の道具にしたのは藤井氏の方である。

世の中にウソや捏造がはびこるせいか、私が書いた「植草さんの小学生時代の思い出」を、事実かどうか疑う人がいる。
その人達に言いたい。
私は辺境ブログの管理人に過ぎないが、ウソを書いてまで植草さんを擁護したいとは思わない。私は誰よりも何よりも、自分の心に対して責任があると思っている。
ましてや人を助けるためではなく、おとしめるためにウソを書いてしまったら、私だったら恥ずかしくて二度と世間様にモノ申すことなどできなくなる。
少なくとも心を入れ替え、名前を変えてでなくては何も書けないだろう。
しかし藤井氏も山口氏同様、臆面もなく人をおとしめるためのウソを堂々と書き、誠意のある謝罪をしない。
彼らの良識が、そしてそれを許す社会が信じられない。

植草さんの『知られざる真実−勾留地にて−』について藤井氏は、
「青春時代は女性にモテなかった話は出てきても、経済学が好きだった話や熱き志が一度も出てこない本なのである。」と書き、さらに「東大の法学部は無理だったから、東大の経済学部へ行った」、「東大へ行って女性にモテたかった」と悪意のある憶測を展開している。
これを「ユーモア」と書くセンスはどうかしている。こういう若者同士の軽口はよく聞いたことがあるが、それほど親しくないオトナの男性に対して言う言葉ではない。
植草さんと個人的な付き合いがあると言うなら、どうして本人に確認もせずにこういうことを書くのだろう?
しかも藤井氏の憶測は事実とは違う。
言うつもりはなかったが、こんなくだらないウソを書かれては黙っていられないので書くことにした。

私は『知られざる真実−勾留地にて−』のオリジナル原稿を読んでいる。
そこには「経済学部を志した理由」も、「女性にモテた思い出」も書かれていた。
出版に際し、校正の段階でそれらの記述は削られたのである。
もちろん「東大の法学部が無理だから、経済学部へ行った」のではない。
植草さんの性格からして自分ではこんな類の話を持ち出して弁解などしないだろうから私が書いた。本人の了解を得ていないので原文を披露しないが…。
「失恋で大きく成長した」経験の方が「純愛」の経験より面白いとの出版社の判断かも知れないし、単なる紙面の都合かも知れない。
私は「純愛経験」の記述を削った植草さんに謙虚さを感じた。

「この5月から、金融経済専門誌であるフィナンシャル・ジャパンの請負ライターになれました♪50歳になっても、どこか真っ直ぐなところのある私にとっては、フィナンシャルジャパンは日本一の経済金融専門誌です。」などと臆面もなく自画自賛の自己紹介ができる藤井氏に、謙虚さの美徳はわからないだろう。
「どこか真っ直ぐなところのある私」って???(プッ)
藤井氏なら自伝で「モテた経験」を得々と語るのだろうか。
ちなみにフィナンシャルジャパンが「日本一」とはただの思い込みらしい。
誤字だらけで事実確認もせずに、しかも人をおとしめる記事をブログに書く藤井氏を「請負ライター」にしている雑誌など、どうせロクなモノではあるまい。

フィナンシャルジャパンの木村剛氏と植草氏との関係は、『知られざる真実』を読めば誰にもわかる。「はあ〜〜〜?」と、まるで植草氏が見当違いの勘ぐりをしているかのように書いているが、藤井氏の記事がまるで『知られざる真実』をつまらぬ本と読者に思わせる為に書いたとしか思えない以上、木村氏の意向を反映して書かれたと見るのは妥当な判断である。
それをいち早く植草氏に見抜かれた藤井氏が、「高飛車な謝罪」で濁して速攻で自分の仕掛けた論争を終わりにしようとしたのもまた、木村氏におもねった行動と思える。
ちなみに「味方を装いながら誹謗・中傷記事をブログに書く」手法といい、「勉強になった」などという中途半端な幕引きの言葉といい、「ぐっちー」こと山口正洋氏にそっくりである。

りそな銀行の破綻処理における不正において、木村剛氏がいかに重大な役割を演じたかを知りたい方は、ぜひ『知られざる真実−勾留地にて−』のご一読をお薦めする。

(*『神州の泉』氏のブログは、2015年1月高橋博彦氏の死去により閉鎖されています。
  高橋氏のご冥福を心よりお祈りいたします。  ---管理人追記---)
# by hirarin-601 | 2008-06-13 02:47 | 批判者

裁判所無用論

植草さんの控訴審が昨日開かれ、弁護側の証拠調べ請求がことごとく却下されて結審した。
判決は一ヶ月後に言い渡されるというが、矛盾だらけの一審判決に何ら疑問を持たないのだとしたら、簡単に「控訴棄却」の一言で片づけられてしまうかもしれない。
そんな疑念が湧き起こり、今までの著しく不公平な裁判にもの申すべく、独自に「裁判所無用論」を展開してみた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本では刑事裁判の有罪率は99.9%だそうだ。(4、5年前の数字)
これは欧米諸国と比べても特異な数字だ。
裁判所の役割は、検察の判断に間違いがないかチェックすることだと思うのだが、検察の判断にほとんど間違いがないなら、裁判所はいらないのではないかと言いたくなる。
どうせ今までも、検事の主張がほとんど間違いなく正しいと判断されてきたのだから、起訴されたら必ず有罪とし、量刑も検事が決めればよい。判事の仕事は、求刑に八掛けして量刑を決めるだけだったのだから。
裁判所の存在理由は何か?

有罪率が高い原因として、逮捕者に対する起訴率の低さが挙げられている。
逮捕しても慎重に取り調べてから起訴をするかどうか決めているという。
無罪判決が出ると検察官の出世に響くので、無罪になりそうな事件は起訴しないということだ。

無罪判決を出すと、裁判官の出世にも響く。裁判官の能力を評価し処遇を決める最高裁は、無罪判決を出す裁判官を冷遇するそうだ。このことは、司法が行政から独立していないことを示す。
本当は、日本は三権分立していないのだ。

判事と検事の人事上の交流=「判検交流」についてはあまり知られていない気がする。裁判官が数年間検察官をやって戻ってきたり、その逆があったりと、両者は実は「信頼関係」といってもよいほど緊密な関係にあるのだ。
また、裁判官は人手不足なため、一度にたくさんの案件をかかえ、一件一件をじっくりと検討するのもままならないらしい。だから無罪判決を書くには非常に勇気が要り、並の判事にはそんな気力も体力もなく、自動的に検察寄りの判決を出してしまう。

日本の検察は優秀であり、えん罪もないと一般に信じられてきたが、裁判官からも絶大な信頼を寄せられてきたことを、有罪率99.9%という数字が語っている。
ところが、富山のえん罪事件では、検察に対する信頼が裁判所に対する信頼と共に地に落ちた。足跡の大きさが違い、犯行時刻にアリバイがあったにもかかわらず、裁判官は有罪判決を出し、被疑者が服役を終えた後に、別の真犯人がいることが明らかになった。裁判官は、自白が強要され、捏造されたものであることを見抜けなかったわけだ。
嘘の自白をさせた捜査官や、インチキだらけの証拠で有罪判決を出した裁判官になんのペナルティーもないのは、どうしても納得できない。
この事件はたまたま真犯人が自供したから無実だとわかった稀なケースで、実はえん罪事件のほんの氷山の一角かもしれない。
裁判で有罪判決が出ても、本当は無実なのではないかと疑われる事件は、他にも多数存在する。

志布志事件や引野口事件では無罪判決が出たが(註1)、それで犯人扱いされた人が救われたかというと、そうともいえないと思う。
引野口事件では片岸みつ子さんが犯人に仕立て上げられ、みつ子さんの夫は任意の取り調べを受けた後に自殺した。精神的に追い詰められたのだろう。警察に殺されたといえるのではないか。少なくとも、誤認逮捕と取り調べがなかったら、自ら命を落とさずに済んだはずだ。取り調べでは、人権を無視した脅しや、よほどショックなことを言われたのだろうことは想像に難くない。
みつ子さんのご子息は、会社をやめて母の無実の訴えのために奔走した。
片岸家の方々の生活は、無罪判決を受けてももう元には戻らない。
別件逮捕による長期勾留もおかしいし、警察の画策によって同房に入れられたA子の供述も矛盾だらけで、そもそも証人として不適格だ。
しかも、違法ともいえる捜査をした側が罪に問われることは非常に少ない。
(志布志事件で「踏み字」をさせた警部補が「特別公務員暴行凌虐罪」に問われて有罪になった。)
3年9か月に及ぶ長期勾留の末、人生をめちゃめちゃにされ破壊し尽くされてからの無罪判決では遅すぎる。これでは、裁判所が無実の人を救っているとは言えない。

それならいっそのこと、裁判制度を廃止してはどうか。
三権分立もしてないくせに、西洋のモノマネをして茶番劇を続けるのはいい加減終わりにしてほしいのだ。
裁判所がなくなれば、莫大な人件費・経費が浮く。今までそれらが、検察の仕事にお墨付きを与えるためだけに使われてきたとはもったいない。
とは言っても、現実には裁判をなくすことはできないので、今までの検察べったりの裁判ではなくなる仕組みを作ってほしい。

要は、警察・検察の不正を取り締まる機関が必要なのだ。もちろん、行政から完全に独立した組織でなくてはならない。だから、今までの裁判制度を廃止するぐらいの抜本的な改革をすることを提案したい。
警察・検察の監査機関を設置し、別件逮捕による違法な取り調べや自白の強要、証拠の隠滅・捏造があれば、被疑者がこの監査機関に訴え出ることのできるようにする。場合によっては、警察官や検事の行き過ぎた捜査を罪に問える。
検察にとって不利な証拠を出さなくてよいという「最良証拠主義」はやめるべきだ。えん罪をなくすために、証拠はこの監査機関が公正に管理し、検事だけでなく、被疑者の弁護士が請求しても、ちゃんと提出してもらえる。
この機関は科捜研に対しても、検察と同等に証拠の調査を請求できるようにする。
今まで偽証罪は、被告人や被告側の証人にしか適用されなかったが、検察側の証人にも適用されるようにする。
今まで、弁護人が証人と口裏合わせをしていないか厳重にチェックされてきたように、検察側とその証人の口裏合わせがないかも厳重にチェックするべきだ。それが不可能なら、検察側に認めてきた口裏合わせを弁護側にも認めるようにする。今までの裁判所にできなかった、公平を第一とする監査機関が是非とも必要だ。

西欧の陪審制のモノマネをして裁判員制度を導入しても、ちゃんと機能するのかどうか疑問だが、せっかくなので職業裁判官の負担の軽減のために、裁判員にいてもらうのもよいかもしれない。

以上、不満だらけの司法制度に対し、自分の理想を述べてみた。
素人考えのため失笑を買うかもしれないが、これを叩きながらより良い制度についてお考えいただけたら幸いである。

(註1)引野口事件では、殺人・放火については無罪とされたが、別件逮捕のための容疑となった窃盗・威力業務妨害については執行猶予付きの有罪とされた。支援者のHPをはじめ、ニュース報道を見ても、このどちらも無実だとわかる。
http://www.hikinoguchi.com/
# by hirarin-601 | 2008-03-18 13:03 | 警察・検察・司法

64年目の東京大空襲に寄せて

終戦の年の3月10日未明、325機の米軍爆撃機B29が東京下町の上空を襲い、2000トンの焼夷弾を落として民間人10万人余りを焼き殺した。

私の両親は当時10代で、どちらも江戸川区に在住し、それぞれの生家でこの日を体験した。江戸川区は墨田・江東・台東区のような被害の中心地ではなかったが、父の家は全焼し、母の家の前の道路には爆弾が落ちて大きな穴があいたそうだ。母は、当時江東区内の女学校に通っていたが、この日を境にクラスメートの半分がいなくなってしまったそうだ。亡くなった人々の遺骸は、数日間道路脇に放置されていて、それを通りがかりに目撃した母は、思春期の心に強い印象を持った。人が倒れたそのままの姿勢で真っ黒いマネキン人形のような状態で道端にゴロゴロ転がっていたという。

私はその話を聞いた当時はまだ幼くて、どういうことなのかよくわからなかった。
昨夜、TBS月曜ゴールデン『シリーズ激動の昭和 3月10日東京大空襲 語られなかった33枚の真実』というテレビ番組を見て、今は亡き母の言っていた情景が心の奥深く入ってきた気がした。
この番組のベースとなった写真は、当時警視庁のカメラマンだった石川光陽氏が撮影したもので、『東京大空襲』というサイトで見ることができる。

テレビでは加害者側にもインタビューをしていた。当時20歳代だったB29の搭乗員は、今でも毎年同窓会を開いているという。そこに番組スタッフが取材に行って石田氏の撮った写真を見せると、皆すまなそうな顔はするが、命令に従ったまでと言っていた。同窓会を開いて旧交を温めているという行為から察するに、自分たちを殺戮者集団とは思っていないようだ。
上官の命令に従って飛行機を操縦し、機械を操作して爆弾を落としただけとは・・・。
無知とは罪深いものだと驚愕する。

親達は、「日本人は戦争に負けたから、戦争はもうこりごりだと思ってるけど、アメリカ人は戦争に負けたことがないから、戦争の悲惨さがわからないんだね。」と言っていた。
アメリカの退役軍人をテレビで見るたびに、本当にそのとおりだと思う。
あの人達は死ぬまで、人々を虐殺したことを誇りに思い、自分たちが良いことをしたと信じて疑わないのだろう。
日本人はアメリカやソ連にはひどい目に遭わされたが、アジアの人々にはひどいことをしたということも忘れてはならない。
戦争に勝ったから人殺しが良いことで、負けたから悪いことだったというのもおかしい。
被害者であると同時に加害者でもある国民の子孫である私たち日本人は、「いかなる場合でも人殺しを正当化してはいけない」ことをよく知っている。
だから、武力を以て平和を唱えることの愚かしさを、辛酸を舐めたことのない無知なアメリカ人に対しもっと強く訴えてもよいはずだ。

銃を保有する民間人による乱射事件がアメリカでは後を絶たないのに、それでも「刀狩り」をしないアメリカという国は、日本とは違う価値観を持った国であり、むやみに迎合してはいけない。
兵器は抑止力の為にあるというが、武器を持った者は必ず使いたがることが目に見えている。

日本人のほとんどが、二度と戦争をしたくないと思っているのに、日本の政治は年々戦争に向かっているように思えてならない。
第二次大戦の時も、国民は戦争を望まなかったのに、軍部が国家権力を掌握して言論統制し、戦争に突き進んで行った。その愚行が、今再び繰り返されようとしてはいまいか。
自民党政府が好戦的なアメリカを支持しているのは国民感情から乖離している。
政府はマスコミを牛耳って、真実を伝えない仕組みを作り上げている。
これらのことは、第二次大戦時とよく似ている。

久し振りに実家の父に電話をかけ、あの焼け野原から、たったひとりで荒波に揉まれて生きてきた思い出話を聞いた。親達に比べれば、自分は楽に生きてきたと思う。今更だけれど、人生の半ばを過ぎた今だから、実感を持って当時の人々の苦しみを思う。
親達の歴史を子ども達にも伝えて行こうと決意した。
# by hirarin-601 | 2008-03-11 17:46 | 管理人のつぶやき

えん罪被害者に贈る詩

「人を感動させる歌」についてのコメントをいただいたので、素敵な詩をご紹介したくなりました。
私の尊敬する飯田史彦先生が作詞作曲し、先日先生のHP
『飯田史彦研究室へようこそ!』で公開されたものです。

『逢いたい』は、先だった我が子を思う親の気持ちを歌ったものですが、勾留されたり刑務所に入れられて、愛する我が子や家族に会えないでいるえん罪被害者の気持ちと重なるように思います。
『お陽さま・お月さま』は、私にはえん罪被害者の心情そのものという気がします。

人それぞれ感じ方は違うと思いますが、どんな人がどんな状況で歌ってもぴったりくるのが飯田先生の詩なのですね。

********************


 逢いたい
(作詞作曲:飯田史彦)


ああ 逢いたい 今すぐ 逢いたい

さみしすぎて 切なすぎて もう 待てない

ああ 逢いたい もう一度 逢いたい

この願い かなう時が 来ると 信じている



いつも信じている あなたを信じている

誰に何を言われても 信じ続ける

いつもつながってる あなたとつながってる

遠く離れているけど すぐそばにいる



ああ 逢いたい 今すぐ 逢いたい

ほかに何も いらないから 今 今すぐ 逢いたい

ああ 逢いたい もう一度 逢いたい

あなたのこと 強く強く どうか 抱きしめさせて



いつも信じている あなたを信じている

くじけそうな時にほど 深く信じる

いつもつながってる あなたとつながってる

そこに姿はなくても はっきり見える



ああ 逢いたい 今すぐ 逢いたい

さみしすぎて 切なすぎて もう 待てない

ああ 逢いたい もう一度 逢いたい

この願い かなう時が 来ると 信じている



   ともに過ごした あの歳月(としつき)

   今も 心に 生きている

   あなたの笑顔 あなたの声

   思いがけない 別れの時・・・



ああ 逢いたい 今すぐ 逢いたい

ほかに何も いらないから 今 今すぐ 逢いたい

ああ 逢いたい もう一度 逢いたい

あなたのこと 強く強く どうか 抱きしめさせて



ああ 逢いたい 今すぐ 逢いたい

さみしすぎて 切なすぎて もう 待てない

ああ 逢いたい もう一度 逢いたい

この願い かなう時が 来ると 信じている



いつも 信じている

いつも 信じている・・・


********************

お陽さま・お月さま
(作詞作曲:飯田史彦)



ルルルル〜 ルルルル〜 ルルルル〜 ルル〜ルル〜

ルルルルルルル〜 ルルルルルルル〜 ルルルルルルル〜ル〜ル ル〜ル〜ルルル〜



 気をつけなさい あなたはいつも 人を信じすぎると

 叱られているけれど それが僕の生き方

 たとえ だまされ ばかにされても だれも責めたくないと

 自分に言いきかせて 誇り高く生きたい



お陽さま お月さま 光をください

涙を 乗りこえる 力をください

希望は捨てない どんな時にでも

心を 光で 満たして歩こう



 気楽になさい あなたはいつも がんばりすぎていると

 忠告されるけれど それが僕の生き方

 むくわれなくて 疲れはてたら 祈りの気持ちこめて

 大空を見上げれば 心の奥が光る



お陽さま お月さま どうか見守って

試練に 立ち向かう 僕を見守って

希望は捨てない どんな時にでも

心を 光で 満たして歩こう

ラララララララ〜 ラララララララ〜 ララララ〜 ララ〜ララ〜

ラララララララララ〜 ラララララララララ〜 ラララララララ〜ラ〜ラ ラ〜ラ〜ラララ〜



くやしい かなしい だけど生きていく

くるしい むなしい だから前を向く

ラララララララ〜 ラララララララ〜 ララララ〜 ララ〜ララ〜

ラララララララララ〜 ラララララララララ〜 ラララララララ〜ラ〜ラ ラ〜ラ〜ラララ〜



お陽さま お月さま 光をください

涙を 乗りこえる 力をください

お陽さま お月さま 光をください

すべてを 信じる 力をください・・・

********************
# by hirarin-601 | 2008-02-23 14:00 | 管理人のつぶやき