一秀くんの同級生のブログ

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「7月4日 第9回公判」の報道について

 世の中暗いニュースばかりなのは、世の中が悪いからだけではないようだ。ニュースを伝える人の心が闇だからだとわかった。
 最近珍しく良い話を、つまらなく茶化したニュースに置きかえて報道されるのを目の当たりにした。
 本来出されるはずの記事は以下のとおり。

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新目撃者による無実証言の決定打
−−−証人の純粋な心情に男泣きの植草被告−−−

 7月4日に東京地裁で行われた公判で、弁護側の証人が出廷し、植草被告が「痴漢をしていない」ことを目撃したと証言した。


 事件当日、同じ電車に乗り合わせたとされる証人は、電車に乗るとすぐに植草氏に気付き、右手でつり革に捕まってぐったりとしていたこと、誰とも密着していなかったことを証言し、第二回公判での検察側の目撃者証言を退け、一貫して無実を主張する植草氏の供述を裏付けた。
 証人は品川駅から青物横丁駅までの2、3分間、植草氏の様子をしっかりと見ていたと証言したが、起訴状によると、事件があったとされているのも品川駅を出てからの2、3分間であるため、『植草氏が痴漢をしていない』と証言したことになる。
 青物横丁あたりからウトウトしたという証人に、裁判官から「あなたがウトウトしている間に犯行があったのだとしたらそれは分からないのですね。」と質問され、「はい、それは分かりません。」とはっきり答えた。この質疑応答により、「証人が目覚めている時間に事件が起きたとされていることを、事前に知らされていなかったこと」が確認された。
 検察官からも、弁護側からの事前の口裏合わせがなかったかどうかを確認するための入念な質問が相次いだ。度重なる質問に一時尋問が膠着状態となり、裁判長が後を引き取って次のようなやり取りとなった。

裁判長 「痴漢事件があったのは品川から蒲田の最初の3分の1、真ん中の3分の1、最後の3分の1のどこだと思うか」
証人  「それだったら、最後の3分の1じゃないんですか!」
検察官 (期待と異なる証言が示されたためか)「・・・(絶句)」

 この答弁が被告人に有利な内容でなかったことから、事件について弁護人やその他から情報を得ていないことと、ありのままに真実を述べていることが、かえってよくわかる証言となった。
 また、事件当時の状況について次のように証言した。

証人 「大森海岸以降で、なにかざわついた感じがして見ると、植草氏が二人の男に押さえ込まれ、からまれているように見えた。翌日、ニュースで痴漢事件と知って驚いた。車内暴力というか、男に因縁をつけられて電車を降りていったと思っていた。
 不幸な人を見て見て見ぬふりはよくないと思い、声をあげたが、本当はもっと早く動くべきだった。」

 証人の男性が涙を流して頭を下げると、植草氏もハンカチで涙をぬぐった。
 「見て見ぬフリ」をしたことを後悔して涙を流す男性。またその男性の純粋な思いに感動して涙を流す植草氏。
 男性二人が、互いを思いやり心を通わせて涙するという珍しい光景を法廷で見た。
 証人の男性は、後になってから名乗り出た理由について、長期勾留のため植草氏の会社のFAXが長らく不通だったこと、良心から、自らの意志で証言台に立ったことを明らかにした。

 また、この日の公判では、第二回公判での検察側目撃者証言の信憑性を問う、弁護側の反証も行われた。日本大学のI教授に心理実験を依頼した結果、95%の人が3日前に見た人のメガネの有無を正確に答えたことが報告された。弁護側は、植草氏がメガネをかけていたという記憶がなく、矛盾の多い検察側目撃者の証言の信憑性のなさを強調した。
(以上、記事おわり) 
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 3年前の事件で付けられた蔑称を今でも使い続ける脳のないスポーツ新聞。まるで、小学生のいじめの風景のようだ。
 そんな中で、ひとりだけ違うことを言うのは勇気が要る。

 この度の証人は、勇気と義侠心に溢れた、近頃稀有な御方である。こういう御方の尊い行動が、世の中のいわれなき迫害に苦しむ人々を救うのだ。
 心から敬意を払うとともに、深く感謝申し上げます。
 本当に、名乗り出てくださってありがとうございます。(涙)

 日本社会では「人の不幸を見て見ぬフリ」は普通である。
 (だから、子どもの世界のいじめはなくならない。)
 すぐに名乗り出なかったことを涙を流して謝ったそうだが、そんなふうにお思いになるとは、とても心の清らかな方に違いない。植草氏が男泣きに泣いたのは、その方のまごころが植草氏の心の琴線に触れたからである。罠やトリックに満ちた悪心渦巻く裁判所で、人の美しい心を見せられるなど滅多にないことだろう。
 人を陥れる記事を書いてメシの種にしている、どす黒い心しか持ち合わせない記者諸兄には、これが美談に見えなかったとしても不思議ではないが。

 この裁判をウォッチしていてわかったことは、

 「検察と報道(特にスポーツ紙)は癒着している」

という事実だ。
 スポーツ新聞の記者なら、一人ぐらい勘違い記事を書くボンクラ記者がいるのはわかるが、これだけ何紙も同じような方向に間違った記事を書くところを見ると、検察官の言い分を記事にしているとしか考えようがない。
 誰かの記事をマネして書くはずはないし、取材した記者全員が質疑の本質を見抜けない「子どもの使い」のようなレポートを書くとは、あまりにも不自然だ。

 [結論]
  植草裁判における報道機関は、「検察側の報道機関」である。

 なぜ、公平な報道をしないマスコミに「記者席」を与える必要があるのか?一般の傍聴者の方が、よほど公平な傍聴記を書いている。
 記者席を廃止するか、もしくは弁護側傍聴者の優先席を設けてほしい。

 私たちは、今まで信じてきた二つの常識を捨てなければならない。
×「検察は真実を追求する」
×「報道機関は事実を報道する」
 この認識は間違いだった。

 実際は、
○「検察は嘘を捏造してでも、裁判で勝とうとする」
○「嘘を報道する報道機関がたくさんある」
という認識が、残念ながら正しい。
by hirarin-601 | 2007-07-06 17:46 | 報道