先日の公判での求刑理由として「被害者の精神的ショックは大きい」と検察官が述べたそうだが、事件と直接関係のない被告人の私生活を再三にわたって暴露する検察官に、人権意識などあるのかどうか疑問だ。
痴漢被害者の気持ちを考えろという人がいる。
その人に言ってやりたい。
冤罪被害者の妻や子供の気持ちを考えたことがあるか?と。
被害者の気持ちはわかる。
私も痴漢の被害を受けたことがあるから、そう言える。
小学校5年生の時から、ラッシュ時に電車通勤していた20歳代まで、回数は覚えていないがイヤな人間にイヤな目に遭わされた。痴漢をした男の家族や仕事仲間にその者の所業を教えてやり、弱者に対し卑しい行為をする人間とのレッテルを貼ってやりたいと思ったものだ。
けれども、私に加害した痴漢どもによって、自分の人生が変わったとは微塵も思わない。
痴漢の被害者を思いやることのできる優しい人ならば、是非とも冤罪被害者の家族の気持ちを想像してみて欲しい。
経験がないので私も想像するだけだが、間違いなく人生が変わってしまうだろう。
自分の夫や父が、やってもいない罪に問われ、会社を解雇され、社会から追われたら、奈落の底に突き落とされるに違いない。
子供だったら、人格形成期に父がそういう目に遭わされている姿を目の当たりにしてなお、社会正義を信じろと言う方が無理だろう。
「やってもいない罪に問われる社会」の恐ろしさは、その子の心に深く刻みつけられることだろう。
人生が変わるほど、踏みにじられ、傷つけられるのは、冤罪被害者とその家族である。
傷つけるのは、正義の仮面をかぶった保身第一の警察・検察であり、それと癒着しているマスコミであり、真実を知ろうとしない無知な一般大衆である。