一秀くんの同級生のブログ

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裁判官の判断を絶対だと思う人達

「裁判官はなぜ誤るのか」という本が出ている。
元裁判官が書いたそうだ。
私も手にしてみたが、読んでいてあまりに腹が立つので、最後まで読めずにいる。

「謝る」のではない「誤る」のである。
誤った判決を出しても、決して謝らないのが裁判官である。

しかし、世論調査でも明らかなように、国民の裁判所に対する信頼はあつい。
「裁判官は誤るもの」であると知っているのは、一部の業界人だけだ。
だから、無実であっても有罪判決を出された人は、世の中の人達の多くに「その罪を犯した」と思われて生きなければならないのである。

私も少し前までは、裁判官が無罪と言ったら無実なのだろうし、有罪だと言ったなら罪を犯したのだろうと単純に考えていた。
しかし、植草さんの事件に興味を持って、記録などをしっかり読んでみると2004年事件は警官の捏造、今回も決定的な目撃者証言により無実だと判明している。
映画「それでもボクはやってない」は、周防監督が数年がかりで裁判を丹念に傍聴し、多くの関係者から話を聞いて作られた、ほぼノンフィクションに近い内容である。
そこでは、99%有罪の現状から、無実でも有罪判決が出る今の裁判所の姿を浮き彫りにしている。

私の身近にも「裁判官の判断は絶対だ」と言い張る人がいる。
植草さんの無実を訴えてもわかってもらえない。
面倒な傍聴記や資料を読むのはまっぴらだそうだ。
「では、無罪判決が出たら無実だと思うか?」と聞いたら、その人は「思う。」と答えた。

公判では録音が禁止されている。
傍聴席もわずかしかない。
運良く傍聴できた人が書き取ったメモを頼りに、その他の人は公判内容を知るしかない。
マスコミは検察側に有利な情報しか出さない。
実際にどのような証拠が吟味されて、裁判官が最終的な判断を下したかは、一般人にはわかりにくい。
そのようなシステムで裁判を行っている以上、裁判官には公正な判断をしてもらいたい。
99%有罪にするという慣習にとらわれないでほしい。
by hirarin-601 | 2007-09-17 10:37 | 警察・検察・司法