一秀くんの同級生のブログ

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マスコミの無知と悪意───2月28日公判の報道について

 日刊スポーツが28日の公判に関する記事の中で「再現DVDは映画(それでもボクはやってない)のパクリ」と報じた。
 これを書いた記者は、痴漢事件の裁判で再現ビデオ(DVD)を使うのが、基本中の基本であることも知らないのか?!
 更に『新弁護団も冒陳の中で「疑わしきは被告人の利益に」という、同作品のテーマでもある言葉を引用。被告側が同作品を参考にしている側面もありそうだ。』
って、バッカじゃないだろうか!
 「疑わしきは被告人の利益に」は、映画のテーマである以前に、刑事裁判の永遠のテーマでしょう。

 新聞社にも無知蒙昧な記者が一人ぐらいいてもおかしくはないが、それが印刷されるまでには、何人もの人のチェックが入るはずである。たかがスポーツ新聞とはいえ、編集長ともあろう人がそんなことを知らないはずもなかろう。
 無知を通り越して悪意を感じる。あるいはこれは「無知」を振りかざして「悪意」を隠す、マスコミの巧妙なやり口なのかもしれない。

 映画「それでもボクはやってない」を見た人達が、植草氏の裁判を同じ視点で見るのを阻止しようとのマスコミの作為が感じられてならない。植草氏が映画に便乗しようとしているとの「刷り込み」の意図が見え見えである。
 事実はそうではなく、映画が痴漢冤罪裁判の現実を伝えているから、現実に痴漢冤罪裁判を闘っている植草氏の弁護活動と重なる部分が多いだけのことだ。記者には社会が見えていないから、映画と植草氏の二者だけの関係にしか話が発展しないのだろう。
 日刊スポーツは、事実をきちんと報道していない。ものを知らないなら、へんな味付けはせずに、取材した事実だけを伝えなさい。

 スポーツ報知に至っては「名誉毀損」報道ではないだろうか。”ミラーマン”という蔑称で始まるこの記事は、全体にバイアスがかかっていることが露骨に表されていて、「読む価値なし」と冒頭で教えてはくれる。今はマスコミに登場しない、芸能人でもない人の名前に蔑みの冠詞を付けて報道することは、名誉毀損ではないだろうか。
 これからは「”歪曲報道機関”スポーツ報知」と呼ぶことにしよう。

 旧弁護団の解任理由のひとつに、2月9日の時点で『証人尋問調書』が植草氏の元に届いていなかったことがあり、それが28日の公判で明らかになったことを応援ブログで知った。なぜこれをマスコミは報道しないのか?
 「調書」が弁護人のせいで被告人に届いていなかったとするなら、すごい背任行為ではないの?
 そういうことにツッコミを入れられないほど、記者の皆さんってボンクラなの?

 事実を伝える新聞としてのプライドがあったなら、少なくとも再現DVD作成をしなかった旧弁護団に比べて、たったの20日足らずで再現DVDを作成して提出した新弁護団が、いかにこの手の刑事事件に対するプロ集団であるかをレポートするべきだった。

 ま、B層主婦がスポーツ新聞を斬っても「目くそ鼻くそ」の世界かな?
# by hirarin-601 | 2007-03-02 13:54 | 報道

映画『それでもボクはやってない』を見て

 痴漢冤罪裁判を淡々と綴った映画である。
 一般人が考えている裁判と、現実との違いをこの映画が伝えてくれることによって、冤罪被害者はものすごく救われると思う。少なくとも「無実の人が有罪判決を受けるはずがない」という一般人の思い込みが、大きな間違いだとわかるだけでも、どれだけ救われるかわからない。
 周防監督、この映画を作ってくれて、本当にありがとう!
 全国の冤罪被害者があなたに感謝していると思います。

 不条理、リアリティーといった、およそ日本人受けのしない題材だが、キャスティングでもわかるとおり、ところどころコミカルなシーンもある。痴漢冤罪に問われた主人公の苦悩を、優しく見つめるような視点で描く。映画全体に流れる優しさに救われるが、主人公の現実は絶望のまま終わる。
 普通の生活者が突然社会から排斥され、人間としての尊厳を著しく傷つけられる。これは誰にでも起こり得る不幸である。そしてそれは、罪を犯した自覚のある人になら受け入れられるものだろうし、反省することによって新たな人生を切り開いて行くこともできるだろう。
 しかし、罪を犯していない人には反省などできるわけもなく、社会不信、人間不信に陥るだけではないだろうか。主人公・徹平のように、自分を裁いた裁判官を心の中で裁くという、確固とした自分というものがなければ、冤罪被害者は自己破壊してしまうのではないだろうか。
 それでもこの映画は、誰かを「悪」と決めつけたり、糾弾するのではなく、むしろ一人一人は職務に忠実な人々が、全体として間違いを犯し、罪のない人を徹底的に痛めつけてしまう現行のシステムを、あくまでもありのままに描いているのである。多分一人一人は悪人ではなく、その自覚も無い人達が、マニュアルどおりの仕事をすることによって、結果として悪魔の仕業をしてのけるところに、背筋の凍るような恐ろしさを感じるのである。

 痴漢被害に遭う少女の悲しみや怯え苦しむ様子も、きちんと描かれている。被害者の少女は、精神的に大きな犠牲を払いながらも勇気を持って法廷で証言する。にもかかわらず、真犯人の検挙にはつながらず、無実の人を罪に陥れることに手を貸してしまうことになるのが、二重にかわいそうである。自分が被害を受けたからといって、犯人でない人を罰するのはこの少女の本意ではなかったろう。
 痴漢の被害者が間違った犯人を捕まえた場合、今の警察には真犯人を割り出すことができないどころか、現行犯逮捕された人が真犯人かどうかを疑う機能さえ備わっていないのだ。

 有罪か無罪かが未決の人に対して、人権蹂躙に近い行為が普通に行われている事実も、映画は伝えてくれる。
 特にひどいものを挙げると
1.検察庁地下同行室では、身動きもままならない、トイレのプライバシーもない狭い部屋で一日中黙ってすわっていなければならない。
2.被告人が勾留中に行われる裁判では、腰縄と手錠をかけられた姿で傍聴人の前に引き出される屈辱を味わわされる。

 これが日本の法律なのかと驚いたのは、徹平の友人と上京してきた母親が、逮捕から4日目になってようやく、徹平が留置場に居ることを知ることだ。被疑者が頼まなければ、身内に知らせることもない。これでは拉致・監禁と同じではないか。
 
 また、痴漢の現行犯だというのに家宅捜索をして、個人のプライバシーを暴くのも警察の常套手段のようだ。映画では、家宅捜索で押収されたアダルトもののDVDや雑誌について、検察官が被告人にネチネチと質問するおきまりのシーンが描かれている。
 一方で、主人公の担当になった若い女性弁護士に、この押収物について主人公を非難するセリフも言わせている。男性の生態を身近に観察する経験のない女性にはわからないのだろうし、実際には既婚女性であっても、夫がアダルトサイトに接続したのを知ってショックを受けるといったナイーブな御仁がいることは確かだ。
 成人男性がアダルトDVDなどを持っている、または鑑賞したことがあるというのは、男性なら皆暗黙のうちに了解していることなのに、男性である検察官が、法廷で被告人のプライバシーを晒して辱める行為は悪辣だし欺瞞に満ちていると思う。またそれを、さも異常なことのように報道するマスコミ男性諸氏に、「恥ずかしくないですか?」と聞いてみたい。

 裁判のシーンに重点を置いた為、主人公をしがらみのない独身フリーターという設定にしたが、妻子持ちの中年男性にするかどうかで、監督は最後まで悩んだそうだ。
 妻子持ちの中年男性が主人公だったら、物語は複雑な人間ドラマとして描かれたのだろう。妻の心の葛藤、子供の心のケア、退職を迫る会社との闘いなど、実際に冤罪被害者が直面してきている問題も深刻で奥が深い。これをテーマに是非とも続編を作って欲しい。
 冤罪被害者は社会的にもひどく傷つけられ、居場所を奪われて、家族共々その後の人生を変えられてしまうのだ。そういう状況で辛い思いをしている方々が、この日本にたくさんいるのである。


 周防監督が数年かけて調べ上げた裁判の現実がセリフに込められているので、書いてみる。

「痴漢冤罪事件にはね、日本の刑事裁判の問題点がはっきりと現れてるんだ」
「調書は、取調官の作文です」
「否認しているといつまでも勾留して自白を迫る。こういうのを人質司法っていうんです」
「裁判官が無罪に臆病なのは、今に始まったことじゃないんだ」
「起訴したからには、絶対に有罪を取る。それが検察官の仕事だ」
「弁護側の反証・・・理屈の上では、検察側立証の弱点を指摘するだけでいいんだけど、現実の裁判はそう甘くない。こちらから積極的に無罪を立証できないと負ける」
「無罪を出すというのは、警察と検察を否定することです。つまり、国家にたてつくことですよ。・・・無罪判決を書くには、大変な勇気と能力がいるんです」
「怖いのは、99.9パーセントの有罪率が、裁判の結果ではなく、前提になってしまうことなんです」
「無実であるなら裁判で明らかになる、裁判官は分かってくれる、そんな風に考えてたら、とんでもないことになる」
「僕は初めて理解した。裁判は真実を明らかにする場所ではない」

 また、「無罪病」と揶揄され、職場では能力が低いとされてしまっているひとりの裁判官に、重要なセリフを言わせている。
「刑事裁判の最大の使命は、無実の人を罰してはならない、ということです」


 ラストには心にズシっと響く言葉が連続して出てくるが、それは書かないでおこう。
 まだの方は、是非映画館に足を運んでいただきたい。


 なお、冤罪に詳いジャーナリストの江川紹子さんは、プロらしい視点でこの映画についてお書きになっている。
江川紹子ジャーナル/社会のこといろいろ/冤罪の映画を見る(上)
# by hirarin-601 | 2007-02-22 15:56 | 痴漢冤罪

『植草事件の真実』ナビ出版

この本は、植草氏を支援する方が出版されたものである。
本の作成者の方から人づてに、私も声をかけていただいた。
植草氏が公認する唯一の応援サイトである「AAA植草一秀氏を応援するブログAAA」からも、二年前の事件の貴重な資料が提供されると聞き、インターネットを見ない方々にも是非知ってもらいたい、現場の写真を見れば冤罪だというのは一目瞭然だと喜んだ。
それで、私のブログからも記事を提供させていただいた。(本書『第三部』)
この本の出版の音頭を取ってくださった方の、熱意と行動力には心から敬意を表する。

届いた本を読んでみて、全体的に自分が想い描いていた内容とは少し違うと思った。
植草氏のお人柄に関しては、私とは全く違う理解をし、そして応援している人がいることを知った。

この本は、植草氏が東京拘置所を出られた時にはもう形になっていたそうで、出版くらいは知らされていたかもしれないが、内容について植草氏は関知していないということだけは強調しておきたい。
なぜなら、植草氏なら絶対に言及しないようなこと(被害者や関係先に対する憶測)が繰り返し述べられているからである。

事件の背景として、植草氏による政治批判が詳説されている。植草氏と政治権力者との間に軋轢があったのは事実だが、それを「事件の黒幕」と関連づける考えが一般に受け入れられるのかどうか、私にはわからない。

むしろ、二年前の事件についての逮捕、取り調べの違法性、警官のしどろもどろ証言の肩を持つ裁判官のインチキ判決、そしてマスコミの偏向報道のみに焦点を当てた方が、受け入れられるのではないかと思った。
「憶測」の部分が、これらの「事実」を薄めてしまうのではないかと心配している。

自分の文章が活字になったのがうれしくて、父に贈ったところ、小泉・竹中政治の「売国政策」を初めて知り、ただただ目を丸くして驚いていた。
この本も一定の役割を果たすのではないかという希望が持てた。
# by hirarin-601 | 2007-02-06 04:55 | 支援者

ついに保釈!

植草さんが保釈されたとのニュースが出ました。

こんなにうれしいことはありません。
皆様ありがとうございます。

植草さん、お帰りなさい。
# by hirarin-601 | 2007-01-22 16:56 | 東京拘置所

もしもあなたが痴漢に間違われたら?

おもしろいサイト見つけました。

「痴漢冤罪回避シミュレーション」

是非シミュレーションしてみてください。
# by hirarin-601 | 2007-01-19 23:08 | 痴漢冤罪

 今年の漢字は「命」に決まったそうだ。
 確かにお目出度いことはあったけれども、今年ほど人の命が軽んじられた年はなかったように思う。自殺者は年々増えているというが、いじめを苦に自殺した子供達の数の多さには胸が痛む。自殺したたくさんの子供達が、身をもって「世の中がおかしいよ」と教えてくれているような気がするのは私だけか。
 腹立たしいのは、遺書を残して自ら命を絶った子供の訴えが、一部の大人によって握りつぶされようとしたことだ。命がけの訴えが長期間放置されて、ご遺族はどんなに悔しい思いをされたことかと思う。それほど、世の中の人は子供に対する思いやりがなく、他人の悲しみに鈍感になっているのだと淋しくなる。
 
 第一回公判があった今月6日の、植草さんの自殺未遂報道の軽々しさにもやるせなさを感じた。いったいご家族は、どんな気持ちでこの報道を耳にされたことだろう。私にとっても他人事ではない。公判で読み上げられた、植草さんご自身の意見陳述書が公表され、その中に自殺を決行したという記述がありショックを受けた。自殺に追い込まれる心理とはどんな状態なのだろう。明るく積極的な人である彼ほど「自殺」から遠い人はいないと思っていた。

 植草さんは御自分の心の動きをこう語る。
『このままでは私が犯人にされてしまう。そうなればマス・メディアは無責任で一方的な情報を土石流のように氾濫させ、家族が想像を絶する報道被害に直面する。あげくの果てに有罪にされてしまうかもしれない。家族の報道被害を最小に食い止めて家族を守るには、いま私が命を絶ち、すべてを遮断するしかない。』
        ───『12月6日第一回公判での植草一秀氏意見陳述書』より───

 植草さんは二年前にもひどい報道被害を経験している。最初から無実を訴えているのに「罪を認めた」と誤報を流し続けるマスコミ。事件と関係のない私生活が晒され、あたかもそれが証拠になるがごとく歪曲されて報道される。ご家族もたいへんな思いをされたに違いない。愛する家族を悪意に満ちたマスコミや世間から守るために、御自分の命を断って抗議するしかないと思ったのだろう。

 植草さんのような状況では、間違いなく犯人にされ、必ずと言っていいほど高い確率で有罪になる。本当にやっていなくても、男性側の無実の訴えは決して認められず、被害女性の証言だけで有罪を宣告される。これは誇張でも何でもない。今、日本で行われている痴漢冤罪裁判の真実・実話なのである。

『ぼくは痴漢じゃない!』の中で解説を書いている升味弁護士は、いみじくも「有罪行きベルトコンベア」と名付けた。ここから、少し引用する。

−−−(以下引用)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
恐怖の「有罪行きベルトコンベア」構造
 多くの人が知っている「無罪の推定」の原則があります。だから本当なら逮捕されても、法律上は無罪の推定を受けるはずです。
 しかし現実は、逮捕の時点で「有罪行きベルトコンベア」にぽっと乗せられてしまって、あとは流れ作業みたいなものです。元検察官の弁護士が、日本の刑事事件は、一番初めに事件を担当する巡査部長が処分を決めていると言っていました。こいつが犯人だと考えた巡査部長が逮捕状を請求し、その逮捕状の請求に理由や必要があるかどうかをチェックするはずの裁判官がノーということは皆無です。事件が検察官の手にわたっても、そこで事件が被疑者の側から点検されることはなく、起訴に至れば、裁判官の審理を受けても100に一つも無罪にならず、相場の刑を言い渡されるからです。
 しかも、現行犯逮捕のときはその逮捕に至るまでの間、チェック機能を果たすものがまったくありません。その場の判断のみで、いきなり逮捕されてしまいます。さらには私人による現行犯逮捕もあります。こうなると、日本の刑事司法の現状とあいまって、私人である、被害を受けたという女性の確信だけで、「有罪行きベルトコンベア」は動きだしてしまう。これらはいわゆる「痴漢冤罪」が明らかにした、日本の刑事司法のとても恐い点と言えるでしょう。
−−−(引用終わり)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 植草さんの意見陳述には、次のような記述もある。
『検察官は、「否認を続ければ、裁判で私生活を攻撃して家族を徹底的に苦しめてやる」と学校等でのいじめを意図的に誘発するとも受け取れる発言を繰り返し、また警察官は、「否認して裁判になれば必ずマスコミのえじきになる」、「否認すれば長期の勾留となり小菅に移送される」と繰り返し述べ、罪を認めることを迫り続けました。』
      ───『12月6日第一回公判での植草一秀氏意見陳述書』より───

 これも決して誇張ではない。
 『痴漢「冤罪裁判」』の事例の中には、「警察のイヤガラセ」としか思えないことをされた人の体験談が出ている。被疑者の娘の家庭教師の自宅にまで、被疑者の人となりについて、刑事が聞き込みに行ったという。恐らく警察沙汰になるような事件を起こしたという話をされた両親に言われて、その家庭教師はやめることになったそうだ。また、この被疑者の通っているテニスクラブにも、刑事が聞き込みに来て以来、仲間の視線が冷たくなり、別の時間帯に通わざるを得なくなったそうだ。
 「聞き込み」と称して、刑事が家族の関係者にデマを吹き込みに行くという卑劣なことが、実際に行われているのだ。
 
 「否認すれば長期の勾留になる」と脅され、自白を迫られるというのは、冤罪と闘った人達の書いた本の中ではどのケースでもお馴染みの場面であり、きっと警察のマニュアルにもそのように書いてあるのだと思わせるものがある。
 ひどいことが、当たり前のように行われているのである。

 痴漢の被疑者から依頼を受けた弁護士は、依頼人が罪を認めてくれるとほっと胸をなで下ろし、否認すると重たい気持ちになるのだそうだ。なぜなら、罪を認めてしまえば初犯なら罰金を払うだけで簡単に済み、否認すると裁判で膨大なお金と時間を犠牲にして闘ってもほとんど無罪は勝ち取れないからだ。弁護士としては、たとえやっていなくても、そんな犠牲を払ってまで無罪を主張すべきだとも言えないそうだ。

 それでも、被疑者が無罪を主張するのは、プライドゆえである。自分の尊厳を守らなければいけないと言う信念があるからだ。植草さんは二年前にも、やってもいないことで屈辱的な濡れ衣を着せられて、プライドは大いに傷ついていたのだろうとお察しする。
 痴漢をするような人間が、家族への愛のために死のうとするものか!
 このことのみでも、植草さんの無罪が立証されたようなものだと、私は思う。

 植草さんは、無実を主張して抗議の自殺をしようとした。
 担当の検事さんと、被害を訴えている女性に一言問いたい。
 「あなた方は、それぞれ御自分の主張に命が懸けられますか?」



※12月6日第一回公判での植草一秀氏意見陳述書




参考図書
 『痴漢「冤罪裁判」 ──男にバンザイ通勤させる気か!』 池上正樹著 小学館文庫
 『STOP 痴漢えん罪 ──13人の無実の叫び』
              痴漢えん罪被害者ネットワーク編 現代人文社
 『ぼくは痴漢じゃない!』 鈴木健夫著 新潮文庫
 『お父さんはやってない』 矢田部孝司+あつ子著 太田出版
# by hirarin-601 | 2006-12-18 05:20 | 痴漢冤罪

キリスト者になった冤罪被害者

 「ぼくは痴漢じゃない!」(鈴木健夫著・新潮文庫)という本を読んだ。
 電車の中で痴漢と間違われ、一貫して無実を主張するも、裁判では一審で有罪、控訴してやっと無罪を勝ち取るサラリーマンの手記だ。
 一審では、矛盾や変遷の多い被害者一人の証言が認められ、「恥ずかしさを押して痴漢の被害を申し出た女性」の証言は十分信用できるという理由だけで有罪になってしまった。

 『刑事訴訟の原則から言えば、有罪を立証しなければならないのは検察官ですが、実際はそうではありません。こんなことはありえない、こんなに変だと言って、検察官の主張を完全に壁際まで追いつめてようやく無罪になるかどうかというのが今の刑事司法の現実、弁護士の実感なのです。』(「第二部 升味弁護士による解説」より)

 たったの5万円の罰金で出られるのに、会社を辞めさせられ、弁護費用も払って大損しながら、人生をかけて無罪を主張していることの重みを考えて欲しいと、弁護士さんは控訴審で訴えたそうだ。
 1年9ヶ月の長い闘いの後、やっと無罪を勝ち取るが、鈴木さんの人生は大きく変わってしまった。会社は事実上解雇され、鈴木さん自身も心に大きな痛手を負い、仕事を次々に辞めざるを得なくなった。もう決して大手企業の営業職に就くことはなく、失った人生は決して取り戻せなかった。
 鈴木さんの恨みは深い。
 痴漢被害を訴えた女性、取り調べた警察官、検事、裁判官の一人一人、そして切り捨てた会社を呪っている。
 無実の叫びを無視され、普通の平和な暮らしをしていた人が、いきなり非人間的な扱いをされる。「推定無罪」の原則が通らない、異次元世界に放り出されたショックはどんなだったろう。ご家族もどんなに苦しんだことだろう。

 鈴木さんの不幸は、法律が作り出したものだ。
 この本の中で升味弁護士は、本人と家族の受けた無形の傷のすべてを実質的に回復するのは無理だが、せめて被疑者と家族の蒙った経済的不利益だけでもフォローする制度が確立されなければならないと書いている。
 無罪になった鈴木さんが国から受け取ったのは、たったの75万円。それでは弁護人への報酬の半分でしかない。一方、鈴木さんが失ったものは、逮捕されてから無罪判決が出るまでの二年にわたる時間と安定していた職。定年後にもらえるはずだった年金と実際にもらえる年金の差額は2千万以上だという。

 社会制度全般に対し、やり場のない憎しみと悲しみに打ちひしがれ、それまでの生き方すべてを変えなくては生存できなくなったのだと思う。
 鈴木さんはキリスト教を勉強するようになったそうだ。
 昔で言えば、世をはかなんで出家するようなものだと思う。
 それほど、社会や人間への不信感は根強く、普通のやり方では人生をやり直すことができなかったのだと思う。
 鈴木さんは最終的に無罪を勝ち取ったけれども、社会的には救済されていないし、精神的に受けたダメージも、制度は何も補償してくれない。
 鈴木さんのご家族も、さぞ困難な人生を強いられたことだろうし、それまでの生き方を大きく変えられなければならなかったことだろう。
 何の罪もないのに。
# by hirarin-601 | 2006-12-06 09:57 | 痴漢冤罪

夏の思い出

 小学校三年生の時、クラスの親しい友達数人の親子で海辺の別荘に泊まりに行った。その時の写真が手元にあり、かずちゃんも写っている。
 詳しい経緯はわからないが、母親同士6人の仲良しサークルで、夏休みに一緒に海へ行きましょうということになり、私の父が勤めていた会社の別荘が自由に使えたので、母子で行くことになった。(私達は「別荘」と呼んでいたが、要するに「会社所有の福利厚生施設」である。)クラスの友達で、私を含む女の子四人と、かずちゃんを含む男の子二人、そしてそれぞれのお母さんと兄弟達も一緒の、にぎやかな楽しい旅行だった。

 写真に写っているのは、海で浮き輪をつけて泳いでいる女の子達や、ゴムボートに乗っている男の子達。砂にまみれた子供達。別荘のテラスで西瓜を切っているかずちゃんのお母さん。ニッコニコ顔で砂浜を歩いているやせっぽちのかずちゃん。みんなで写っている写真もある。
 私の母を含め、この写真の中の数名が既に他界しているんだなあ。とにかく楽しかったなあと、ただただ感傷にひたる。この時の一番の思い出は、女の子達とうっそうとした茂みの中を探検に行ったこと。
その時男の子達が何をしていたのかはわからないし、この小旅行でかずちゃんとどんな言葉を交わしたかも覚えていない。

 セピア色の幼い頃の思い出である。
# by hirarin-601 | 2006-11-13 14:01 | 少年時代の植草さん

日本は本当に民主主義国家なのか?

 アメリカの刑事物のテレビなどを見ていると、犯人を逮捕する時には必ず、自分の警察手帳を掲示し、

1.黙秘権があること。
2.今から被疑者が話すことは被疑者にとって不利な証拠として
  裁判で扱われる可能性があること。
3.取り調べに際し、弁護士に立ち会ってもらう権利があること。
4.弁護士を雇うお金がなくても被疑者が望んだ場合には、
  弁護士が任命されること。

が必ず告げられる。

 これが、さんざん暴れ回り逃げ回った末であれ、どんな極悪人に対してであれ、逮捕の際には必ず行われる。
 なぜなら、これが告げられなかったり、弁護士の立ち会いを求めたのにそれが無視されたまま取り調べが行われた場合は、憲法違反のため、その供述は証拠として採用できないからだ。

 私は洋もののミステリーを好んで見ていたので、逮捕や取り調べの手続きは、日本でもそんなふうに行われているものと長い間錯覚していた。ところが実際には、この4項目のうち何一つ告げられないままの逮捕が、現代日本において公然と行われているのである。

 一番の問題は、アメリカでは当たり前な「弁護士立ち会い権」が、日本の法律にはないことだ。
 このことは、在日米軍人による強盗事件や婦女暴行事件が起こるたびに、理不尽な日米地位協定が改善されない理由として、繰り返し報道されてきた。
 この報道を耳にしてきた限りでは、「弁護士立ち会い権」がどれほどの意味を持つものなのか、私にはぜんぜんわかっていなかった。

 それが、二年前(2004年品川駅事件)に植草さんが逮捕されてから取り調べまでの詳細な記述を読んで、「弁護士立ち会い権」がないことによって、警官による供述書の捏造が合法的に許されているのが日本の実情だとわかった。(※註1)
 これが本当に日本で行われていることなのかと目を疑った。


密室での取り調べ

 取り調べはF巡査部長との1対1で個室で行われた。
 F巡査部長は最初、「この件は非常に微罪だから、今すぐ容疑を認めれば、罰金を払ってすべて完了となる。その場合は一切マスコミ公表もしない。」と言った。
 それに対し植草氏は、「何もしていない」とずっと言い続けた。しかし、「これは警察官による『現認』だから、裁判をしても100%勝ち目はない」と繰り返し言われ、否認した場合は「必ず長期の勾留になって、マスコミ公表がされる。もし簡単に済ませたいならば、今すぐ容疑を認めたほうがいい」と説得された。
 弁護士を呼ぶという知識のなかった植草氏は、仕方なく「取り引き」に応じた。F巡査部長とは、「のぞこうとしたけれども、のぞいていない」という形で容疑を認めることに同意したが、実際に検察に行ってみると、「鏡を使ってのぞいた」と調書が書き換えられていた(捏造)。F巡査部長は、最初から植草氏を騙すつもりで「取り引き」を持ちかけたのだ。
 F巡査部長は、98年の事件についても、調書を捏造している。


警察による恐喝、詐欺、調書の捏造、誤報垂れ流し

 植草さんの場合、取り調べをしたF巡査部長は、有名人である植草氏に対し、マスコミに話すと脅し(恐喝)、罪を認めればすぐに帰れると「取り引き」を持ちかけ、結果、検察に送る送致書を書き換えて(捏造)、植草さんを騙した(詐欺)。更に警察は、植草さんが騙されたことに気が付いて、「取り引き」上一旦認めた容疑を否認しても(4月11日)、マスコミには「容疑を認めた」との誤報を流した(4月12日)。この誤報による植草氏の被害ははかりしれない。
 これは警察が行った(マスコミも片棒を担いだ)、立派な犯罪だと思う。
(このブログを読んでいる皆さんは既にご存知だろうが、私は何度でもこの許し難い不正を書くつもりだ。)

 この報道を受けて、当時の世間の人の多くは、マスコミ発表されたために、植草氏が否認に転じたと思っていた。しかし、真相は逆で、植草氏が否認したから、警察がマスコミに(容疑を認めたとの)虚偽の発表をしたのだ。

 ところで、F巡査部長の言った「現認逮捕」とは後から出てきた言葉で、最初に品川駅でS警官に呼び止められた時には、ただの「職務質問」だった。つまり「現行犯逮捕の事実が告げられていない」のだ。S警官によって逮捕状が捏造されたことは裁判で明らかになったにもかかわらず、O裁判長は『それは単に事務的に作ったのでしょう』と警官を擁護する発言をした。
 逮捕状を捏造したのが、違法でないとは!
 裁判所は、もはや公正さを判断する仲裁者として機能していない。
 

長すぎる勾留

 二年前の事件では植草さんは33日間勾留され、随分長いと感じたが、今回は50日経った今も勾留され続けている。
 そこでされていることというのは何か?
 毎日毎日、朝から晩まで、一人だけで取り調べを受けて、自白を迫られているのではないか?
 まさか映画のように顔に電気を当てられたり、虚偽の自白を促すようなクスリを飲まされてはいないだろうが、毎日同じ事を聞かれるだけでも精神的な苦痛は大きいと思う。

 法律の不備を、今までは警察官の良心が補ってきたのかもしれない。
 しかし、この事件に見られるように、警察官にも裁判所にももはや良心がないなら、私達は公権力から身を守るために、何かをしなければならないのではないか。
 「弁護士立ち会い権」はアメリカでも、最初からあったわけではなく、40年前に市民が闘って勝ち取ったものだという。
 この権利を勝ち取ることは、民主主義国家の条件として、絶対に必要だと思う。



※註1 ジャパンポンチ(1)参照。(2005年6月発行)
 インターネットの本屋さんから購入できます。

※追記 『知られざる真実 -勾留地にて-』 228ページより、2004年事件の詳細が書かれています。

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# by hirarin-601 | 2006-11-03 03:42 | 事件

理解されない優しさ

 小学生の頃のかずちゃんは、弱い子や女の子にはとても優しかった。その植草さんが、またしても性犯罪で逮捕されたというのが、どうしても腑に落ちない。私には彼が人のいやがることをしたとはどうしても思えないのだ。
 事実はむしろ逆なのではないかと考えている。

 ことの発端は、8年前の電車内でのこと。ボックス席の向かいに座っていた女性が、通りかかった車掌に植草さんのことを『この人ちょっと感じが悪いんですが』と言ったという。
 植草さんは、当時太もものところに湿疹があり、何度か掻いたということ、荷物をひざの上において手で押さえていたが、電車が揺れたときに、小指が女性のひざに一瞬ふれたということは自覚している。
 それがなんと自慰行為をし、女性に触ったということにされてしまった。
 なぜか?
 それは、最初の車掌への説明で、
「もし不快な思いをさせてしまったなら申し訳ない」と謝ったことに尽きると思う。
 植草さんの謙虚さや優しさが、この車掌や訴えた女性にわからなかったために起こった不幸な出来事だ。普通、疑われるようなことをやってないなら、「ふざけるな。そんなことを考える方がどうかしてるよ!」ぐらいは言うのではないか。自分が考えてもいない容疑をかけられたら、普通の人ならみんな怒り出すのではないか。けれども、植草さんはとても穏やかな人で、決して乱暴な物言いをする人ではなかった。「話せばわかる」と、人を信じる人だった。
 残念なことに、普段から本物の痴漢と接している車掌には、植草さんの高潔さが理解できずに、深い思いやりから出た謝罪を、罪を犯した人の謝罪と勘違いしてしまった。
 その後駅の鉄道警察で、状況をいくら説明しても頭から信じてもらえず、夜の11時まで4時間も押し問答を続けた挙げ句、『もう時間切れだから認めなければ逮捕だ』と大声を上げて脅され、『触ったと認めて、上申書をここで書けば帰してやる』というのでしかたなく相手の言うとおりにしたと、植草さんは後日、「ライブドアPJニュース」の取材で語っている。
 その時は弁護士に相談するという考えが及ばず、そのまま誰にも言えずにいたら、後で検事に呼び出されたので再度事情を説明したが、上申書を既に書いていることを鋭く責められ、どうにもならないので罰金を払ったという。
 植草さんは当時よくテレビに出ていたので、マスコミに知られることを極度に恐れ、それを免れるために安易な妥協をしてしまったが、本当は筋を通すべきだったと悔やんでいる。
 なぜならこのことが、二年前の事件の裁判で検察側に利用され、植草さんには非常に不利に作用したからだ。

 セクハラは、被害者が「被害を受けた」と感じたら、セクハラの事実があったということになるそうだ。
 差別語も、言った人に他意がなくとも、言われた人が「差別された」と感じたら、やはり謝罪するべきだとする意見が多くなってきた。
 植草さんは、そういうデリカシーを人一倍持ち合わせている人なのだ。
「自分には全く身に覚えがないが、相手に不快感を与えたなら謝る」という言葉は、彼の思いやり深い謙虚な人柄を良く表している。それを「気の弱さ」としか取れない世間の方がどうかしていると、私は思う。

 二年前の事件では、手鏡でのぞいてもいないのに、どうして「被害者」とされる女性に示談金を払ったのか、やってないなら謝る必要がないだろうと、多くの人から誤解を受けた。(※脚註参照)
 これも、彼の優しさがアダになったと思う。

 今回、「人違いでしょう」と言ったのにも、被害に遭ったとされる女子高生に対する思いやりが感じられる。
 植草さんの「やっていない」という主張が本当なら、女子高生が嘘をついていることになる。嘘をついてまで人を陥れようとする悪意を、彼は認めたくなかったのだと思う。だから、人違いか勘違いという「逃げ場」を、植草さんが女子高生に残してあげたのではないかと思えてしまう。
 この「人違い発言」が、やはり不利に働くと言う人もいるので、どうかもう人のことは思いやらなくていいから自分のことだけ考えてと彼に言いたい。

 「人を信用しやすい自分の性格が災いしました」と去年植草さんは語った。私は更に「彼の優しさが世間に理解されないことが災いしている」と思う。
 謙虚さの美徳を讃えることも最近ではめずらしくなった。植草さんが理解されないことは、日本人が本来持っている美徳を失っていることに思えてならない。



※註 2004年の事件の際の示談について

   『AAA植草一秀氏を応援するブログAAA』で
       詳細説明がありましたので、
       こちらにも転記させていただきます。
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植草氏は、2004年の事件の際、被害者と言われる女性と示談が成立していますが、
それはその女性に、『完全に容疑を否認しているという事を伝えた上での示談成立』です。
そして、その女性の方から『裁判にしないで欲しい』という希望が検察に出されたとの事。

1. 植草氏は容疑を完全否認していることは女性側にはっきりと
   伝えており、その上で成立したものであるということ。

2. そしてその了解後『裁判にしないで欲しい』という言葉も
   女性側から届けられたものであるという事。

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 この点が、私の投稿でも抜けていたため、お読みになった方に誤解を与えることになったかもしれないと思い、補足説明とさせていただきます。
# by hirarin-601 | 2006-10-25 03:21 | 事件